天気雨 -2ページ目

2度目の結果報告を受けて

自己実現の手段と考えるべきではないし、かと言って「誰かのために」と考えているといつかその誰かを悪者にしてしまうだろうし。

本当はそんな難しく考える必要はないはずで、いろいろ考えたり打算的だったりするから難しくなってしまったんだろうか。

じゃあ一体何をどうすればよかった?

【天災から日本史を読みなおす】

【三十路の読書感想文】

天災から日本史を読み直す 先人に学ぶ防災 磯田道史著

 

 

防災を理系的側面から考えることが

大学から社会人にかけての自分の背骨にあるものだと考えている。

以前から、地名に込められた災害の潜在性や

自然災害に関する地域伝承には興味があった。

 

本書では文系的側面、すなわち歴史を紐解くことで

見えてくる先人の教訓をくみ取ることから

災害の被害を軽減しようとのアプローチが紹介されている。

それぞれの時代の倫理観で克明に記された、

被災した人々の行動には

今を生きる自分たちが学ぶべき点が多くみられる。

 

紙という媒体に主観が多分に含まれる「点」としての記録だが、

これらを集め、組み合わせることで面として見えてくることはあるはず。

そのアウトプットは理学的なアプローチにおいても

試行の条件として活用されるものである。

客観の記録として現状を残せるようになった現代においては、

如何に後世に対して可読性・解像度を保ったうえで

情報を手渡すことができるかが課題な気がする。

 

本著のなかでいちばん印象にのこったエピソードとしては

宝永地震の際に発生した津波から生存した家族の話。

津波におぼれた彼らは流れてきた家屋に乗っていた人たちに

引き上げられたおかげで一命を取り留める。

運よく津波の流れが弱まる場所に漂着し、

太平洋の沖合に流されずに済んだという記載がある。

東日本の津波の際にも実際に2日漂流ののちに救助された男性がいたそうだ。

明かりのない寒い海でひとり。どれほどの不安だったのか想像が及ばない。

そのとき人は、何を思うのだろうか。

 

家や堤防の材質は変わったが、

被害の状況としては数百年前とそう大きな変化は見られない。

人のちからで自然を完全に制御できるという考えは危険だが、

この先数百年、数千年ののちに、先人の記録も活用したうえで

どのような対策がとられるのか思いを馳せる。

 

 

 

【 "ふがいない自分"と生きる】

【三十路の読書感想文】

"ふがいない自分"と生きる 渡辺和子著

 

 

冒頭の一説が気になって本を手に取った。

 

自分の身に降りかかる試練でさえも、

ひとつひとつ、本当にていねいに両手でいただいて、

意味を考えながら乗り越えていく。

終盤に出てくる"斧"の話にも通じるが、

まさしく"木を切ること"にしか頭にない日々を嘆く自分の心に響くものがあった。

 

一度の人生に与えられている時間はそう多くないのだから、

ひとつひとつの経験から(良いものも悪いものも)、

味わえるだけ味わいつくさないともったいない。

そうしないと苦労した分だけ損、逆を言えば、

味わうことができるならお得、と最近考えるようにしている。

きっときれいな言葉に置き換えると冒頭の一説になるんだろう。

「個人的な損得勘定と一緒にしてくれるな」という声が聞こえてきそうだが、

少なくとも私はそう受け取った。

 

-----

 

この年になって、母親に対する気持ちがますます複雑さを増している。

煩わしさと感謝が綯い交ぜになったような感情。

仕事あがりに、鏡に映るやつれた自分の顏に色濃く浮かぶ面影。

シスターの思考の根幹に大きくかかわっているのもおそらく、

お母様の存在なんだろう。

"母は子供がいま喜ぶ顔は見ようとしませんでした。

将来困らない、子供の顔。

それがたぶん、いつも母の頭にはあったんだと思うんです。"

自分の身にもいくつも覚えがあった。

数年、数十年して芽吹くものをいくつも持たせてくれた。

いまの自分はその土壌の上に成り立っている。

それはあの日の、今の私とそう歳も変わらない母からの贈り物なのだと思う。

 

修道院にはいることを決意した娘に向けて、

嘆きの合間に言ったという

"『でもねぇ、結婚だけが女の幸せじゃないからね』"

の一言。

壮絶な最期を遂げた夫のもとに嫁いだお母様の言葉だと考えると

その言葉に含められた感情は幾多にも読み取れる。

激動の時代を生きた女性なのだと改めて想いを馳せる。

 

-------

 

どう解釈するのが良いか、迷った一文がある。

 

"なんでもしたいことをするというのが、自由ではないんです。

自分が本当にすべきことができる人、

してはいけないことをしないですむ人、

それが人の『格』、『人格』となります。"

他の著書でもしかしたら触れられているのかもしれないが、

本書だけを読むと、この"してはいけないことをしないですむ人"

の解釈にすこし含みがあるように感じた。

"よく生きる"、自己制御、自己管理に関する章に書かれた一文なのだが、

目先の己の利益のためだけを考えた行動の中で生じる

"してはいけないこと"に対する言及なのか、

はたまた、"してはいけないこと"だと認識していながら、

生きるためにせざるを得ない事柄に対する言及なのか。

前者について、身近に心当たりがある記載に、

「よくぞ言ってくれた!」と思ってしまったが、

後者であるとした場合に、一方的に推し量れるものではないと感じた。

そして、私が憤りを覚えるその人にとっては、

その行動は後者からくるものかもしれないと考えたら、

自分の物差しでしか状況が判断できていないことに改めて気づかされた気がした。

 

------

 

ともあれ、読む人間の心理を反映した解釈が生まれる、

まさに鏡のような一冊だと思ったのだった。