天命もう一度 | すべての答えと能力は その人の内側にすでにある。

すべての答えと能力は その人の内側にすでにある。

宣言しました、私にもわかりません、わたしが勝手にできません。3,22,2011.てふてふがベーリング海峡を渡る。

「アラーは偉大なり」:ではお前は偉大ではないのか? 
――賛美と覚醒 
Greatchain
April 28, 2025
これは 2 回ほど続いたニーチェへの論及の 3 つ目である(ニーチェは「なぜ私はかくも偉
大であるのか?」と言った)。したがってイスラム教徒に別に恨みがあるわけではない。今、
地球上で行われている、あらゆる宗教に物を言いたいのである。そしてそれはニーチェと
同じ動機による。そう言えばピンとくる人たちがいるかもしれない。
その前に私は今 91 歳であり、私の身体が焼かれる前に言っておきたいことがある。私は
左手にはっきりした M の字があり、右にも同じ形の M があるが、これは左ほど一目瞭然
ではない。そして両手の平には、やや角度を変えれば三日月が現れる。もしこれが異口同
音に言われる通りのものだとすれば、私は「特別の使命を負わされた」人間ということに
なる。これは私が特別の重責を負わされたということであって、特権などではなく、私へ
の嫉妬など全くお門違いだと言っておく。覚えておいてくださる方もあると思うが、一年
近くも前、私が「選ばれた者」の役を言い渡されたとき、「この国でこんな役を与えられる
のは皇室だけで十分です、やめてください」と言ったが、そうはいかないこと、これが天
命であることがこれでわかった。
なぜ私が「私は偉大でかつ賢明である」と言ったのか? それは、そう言わねばならぬ責
任を神から引き受けたからである。かりに私が「神は偉大です。私のようなものがしゃし
ゃり出て何か言う資格はありません」と言ったとしたら、神はその謙虚を褒めるだろうか?
もし神がそんな態度に出たら、そんな神はこちらから願い下げたほうがよい。本当の神な
ら、「お前がこの宇宙の責任を取らずして誰が取るか!」と怒るだろう。ニーチェが言って
いるのはそれである。その限りにおいて、彼もまた神から嘉
よみ
せられた人物である。
本来、神は「天上に君臨する」(マルクスの言葉)ようなものでないはずである。神が一人
で、あるいは臣下や補佐と共に天上に君臨するなどというという考えが、間違っているこ
とになぜ人は気づかなかったのか? 頭の弱い、従順な、ただひれ伏す人間どもを支配す
る神! これはひどい話だが、これが現在まで、この地球上の宗教世界をー

 

愛と光を中心とした新しい神解釈を「分け御霊」の宇宙と言ってもよい。宇宙をワンネス
として、これを無数の波動の調和として捉えるならば、神も神々も人間も、一つの協力体
制として、共通の創造者として生きるはずであり、別々の世界を住み分けるなどというこ
とはありえない。プレアデス人たちに通じているらしい天照大御神は、これを「同調」「分
光」の世界と言っている。天照大御神はまた、神と人間が「愛と光のタペストリーを共に
織り上げる」と言っている。
いずれにせよ、歴史始まって以来続いてきた、我々の知るすべての宗教は「脱皮」しなけ
ればならない。私は「脱皮」という言葉が適当だと思う。それは廃止でも破壊でもない。
進化成長による自然消滅である。アルクトゥルス協議会は、「地上での宗教的コントロール
の終焉」という言葉を使っているらしい。
Amazing Grace という讃美歌は、「驚くべき恩寵(神)は、私のような wretch を救ってく
れた」と言っている。Wretch とは「惨めな者、あさましい者」といった意味で、これは神
への感謝と賛美をひたすら表明するものである。神はそれを聞いて「ああそう、よかった
ね」とは言うだろうが、喜びはしないだろう。神は自分に協力してくれる強い盟友を求め
ている。ある宗教家が言ったように、神とは我々が救ってもらうものでなく、我々が救う
べきものである。実は、神は敵に囲まれている。そしてそんな事実がないかのような宣伝
が行なわれている。そして私自身も、私を騙そうとする者、足をすくおうとする者たちに
囲まれている。
デイヴィド・ウィルコックの『シンクロニシティ・キー』の少年時代の話を読むといい。
その頃、彼は徹底的に友達にいじめられ、残酷に迫害された。しかし彼は、神が自分を救
ってくれていると信じていた。ある程度長じて後、彼は神に向って言った、「神様、あなた
はこれまで、ずっと私を助けてくださいました。これからは私があなたを助けます。」そう
いった途端に、今までに見たことのない巨大な天体が、目の前を通りすぎていった。
奇跡というものは存在する。私にもこれまでいくつか超常現象は起きているが、特に記憶
の鮮やかものを一つあげる。数か月前のある朝、夜明け前に、私の寝ている木製のベッド
を下から 3 つ叩かれた。こんなことはそう驚くほどでもないので、そのまま寝入ってしま
うと夢を見た。日本人か外国人かわからないが、女性実業家というタイプの上品で知的な
女性が、ワインの入った大きなグラスを持ち上げて、「おめでとう」のポーズをしてみせた。
それだけだった。しかし明けきってから玄関を開け、新聞を取り込んで戻ろうとしたとき、
家の前面を大きく 2 つばかり誰かが叩いた。が、誰もいなかった。家の中で音がすること
はよくあるが、これは初めての経験だった。

最後は例によって私のソネットであるが、この 40 年近く前の英語詩集が、あたかもこの
時期を待っていたかのように、ここに現れたのは、何か私でない者が働いていると思われ
る。これは昨年 11 月 20 日の英文の論文の末尾に付記したものだが、訳をつけなかったの
で改めてここに再録する。どうしてもそうしたくなったのは、どこかで誰かが、我々の宇
宙のことを「美しく緻密な構造体」と言っているのを見たからである。自分で自分の作品
を解説するのは気が引けるが、これは私の宇宙のような 14 行詩で、「醜」あるいは「悪」
のどん底を知っているものだけが「美」の頂上を極めると言いたかった。今読めば、次元
上昇と二極分裂を目指しているようにも読める。
詩型は iambic pentameter, abba/abba/cdcdcd:
 On Seeing an Extremely Ugly Woman 
in a Bus
 That nature could her custom so transgress
 And from her womb produce what nature flees!
 Not from a burn or man-dealt injuries
 This woman bears her curse of worst distress.
 A wild desire possessed me to redress
 The wrong, undo the nature’s freak, to seize
 The throat—of what I knew not, remedies
 Being in no one’s hand. What ugliness
 Within myself and all the world was then
 Revealed! A blow it was to tear the veil
 That hides the crime, the shame, the uncured pain,
 The dark old beast that in our flesh we trail.
 Awe-struck, upon my face I could have lain, 
 And as before the highest beauty wail.
バスの中で極端に醜い女性を見て
 自然がその習慣をこれほどまでに踏み外し/その子宮から自然(人情)が逃げ出すも
のを生み出そうとは!/火傷でもなく、人が与えた傷からでもなく/この女は最悪
の苦しみの呪いを背負っている/突然、荒々しい欲求が私を捕らえ/この悪行を修
正し、自然の気まぐれを取り消し/その喉を掴みたくなった/だが誰の? それは
わからなかった/その解決策は誰の手にもなかったからだ/何という醜さがそのと

 

き、私の内部で、また全世界の内部で/露わになったことか!/それは、その犯罪、
その恥、その癒えることのない苦痛を隠すヴェールを引き裂く一撃だった/肉体と
いう我々の引きずる老いた獣そのものだった/畏怖の念に打たれ、私はひれ伏して
顔を覆いたかった/そして最高の美の前でするように号泣したかった。