正体 | すべての答えと能力は その人の内側にすでにある。

すべての答えと能力は その人の内側にすでにある。

宣言しました、私にもわかりません、わたしが勝手にできません。3,22,2011.てふてふがベーリング海峡を渡る。

私の正体が何であるのかがわかってきた――最も自己を
消したかった者の自白
Greatchain
June 30, 2024
私は「アカシック・レコード」というものが架空のものだろうと、長い間思っていた。そ
れがそうではないらしいことがわかってきた。何かこの宇宙に、これまでに起こったすべ
ての記憶を、記録しておく場所があるらしい。それが今、私を中心に動き出しとしか考え
られない。それが何の目的だろうと、今、この私を使わなければならない事情が生じてき
たらしい。それは実に多くの方々の提供してくれる状況証拠から、ますます否定できなく
なった。そんなことはありえないと、これ以上逃げ続けることはできなくなった。
そこで私はこれを、正面から受けて立とうと思う。(現在も私の傍にいてくれると思われる)
女性エンジェルが、私のことを、私が生まれる前から知っていたと主張するのを、私は信
じようと思う。
また、私が生まれたのは、母の生家である浄土真宗の寺だが、先日私は、信じられないが、
圧倒的な、過去の出来事に違いないエピソードを聞いた。これはまだ私が生後間もないこ
ろの話で、私の祖母たちが、私を特別に道理のわかる子であるかのように思っていたいら
しいことがよく伝わり、私は感動して、しばらくは涙が止まらなかった。この時の説明で、
説明者が When you were sad…(あなたが悲しかったとき)と言ったとき、私の悲しかっ
た記憶がよみがえった。
私は幼児のころのそういう感情を、今でもそのまま持っている。短調の子守歌に耐えられ
ず泣き出したことも覚えているが、これはおそらく、多くの人に共通するのではないだろ
うか。今も忘れない強烈な事件は、私がなんらかの理由で、この上ない悲しみのどん底に
落ちたとき、2 匹の小型のむく犬が玄関先に現れ、じゃれ合ってまたさっと出ていったこ
とである。
もう一つ忘れられないのは、私かある程度成長したとき、この寺の裏にある小さな庭園を
初めて見て、これほど美しいものがこの世にあるのかと感動したことである。そのときの
胸がつまった感覚を、90 歳の今でもありありありと思えている。

 

これは、私が特別の天才児だったとか、高度な感覚の持ち主だったとか、言うために言っ
ているのではない。私にとって、この 2 つの悲しさと美しさの幼児体験が、今でも私の原
点として残っていると言いたいのである。
これは「アカシック・レコード」のような場所で保存されていた感情が、神に注目され、
おそらく本来の愛になりうるものして、この地上へ送られ、そして病み苦しむ一方のこの
地球を、癒し浄化する(昇華させる)ために、私がここへ送られたのではないか、と考え
られるのである。
たまたまさっき見ていたユーチューブ・スクリーンが、それと同じことを言っていた――
「あなたは、この人に再び愛を感じさせるために、神によって送られてきた (Oracle of the
Angels)」
「世界苦(Weltschmerz)」という言葉がある。これをどう解釈するのが正しいのか、私は
知らないが、人は世界苦を通じて本来の愛へと目覚める、と私は解釈している。
かつて岡潔という有名な数学者がおられ、非常に面白いことを言ったことがある。彼が子
供のころ、同じ年頃の女の子の友達がおり、この子が「何か可哀そうなお話の本を持って
いない?」と訊ねたのだという。岡は、この可哀そうなお話を読んで、泣きたいと思う気
持ちが尊いのだという。本を手に入れて読み、知識を増やすことが目的ではないのだ、と
言っている。人間の生きる世界には、無限に悲しいものと、無限に美しいものが一つにな
って、人を癒すものとして存在し、我々はそこから来る純粋な愛を、糧として生きている。
それをこの少女は本能的に知っていた。
また、石川啄木のおそらく最高傑作と思われる、特に愛される短歌がある:
宗次郎におかねが泣きて口説きおり、大根の花白き夕暮れ
宗次郎とおかねは、夫婦か兄妹か親子かわからない。これは我々の生きている世界で必ず
起こる悲しみか苦しみの一コマである。これをこの季節、時間、風景の一つと組み合わせ
ることによって、普遍的な「世界苦」へと引き上げている。人はこの一段高い世界で、「救
われる」のである。
岡潔の少女にしても、啄木の歌にしても、人が求めるのは芸術の効果である。それは、宇
宙そのものの悲しみに触れて、本来の自分を取り戻し、癒されたいという欲求である

 

そんなものによって何がよくなるか、何が現実に解決するのかと言われるかもしれない。
しかし我々は、繊細な感覚を発達させることによって、現実に世界を救うのである。戦争
によって、サイコパスの集まりによって、何かが解決できるかのように思いわせる我々の
文化は、全く逆のことをやっている。我々の精神をこの上なく荒らし,病ませ、滅ぼすこ
とを奨励しているのである。それは野蛮人の文化であって、そんなものがこれ以上生きら
れるはずがない。繊細で美しいものこそ強く、そして勝つである。
我々が、霊的な世界と現実世界にまたがって生きている以上、我々が革命を起こそうとし
ているこの新しい価値の世界は、当然、サタンの標的となるであろう。それは必然的であ
って、これを無視することはできない。私の住む家にもそれは侵入しているが、私はコツ
を覚え、堂々と対応している。(恥ずかしながら私が今まで恐れた悪霊現象には、今は全く
恐れなくなった。)しかしそういったものは、いわば、「文化大革命」による精神の力によ
って、加速度的に衰退していくものと思われる。
ついでながら、私が男性守護天使の方々からの共闘の申し出を断って、カネも名声も地位
も辞退すると言ったことで、腹を立てた方々は、その後、私の主張を認め、私に譲歩し、
私に謝罪するようになった。私はその潔さに感動し泣いた。彼らは身を引くというような
ことを言っていたと思うが、その必要があるのだろうか? 私にはそのあたりのことはわ
からない。
また私の本名については、私は自分からは名乗らないことにする。私は自分を消すという
ことに、異常な執着を持っている。また金銭についてもご親切は有難いが、何らかの自然
の入金以外には、私自身の方針として金銭などは受け取らない。
また私は日本人として日本語に誇りを持っている。英語という言葉の美しさにも多大の関
心を持っているが、使用言語を英語に切る替える気はない。