愛 | すべての答えと能力は その人の内側にすでにある。

すべての答えと能力は その人の内側にすでにある。

宣言しました、私にもわかりません、わたしが勝手にできません。3,22,2011.てふてふがベーリング海峡を渡る。

神は階層の頂点での君臨か、平等世界での我々の覚醒か、
どちらがお好き?
Greatchain
June 18, 2024
もし私が、神(宇宙)から送られてきた、任務を果たすべき重要な存在だと言われている
ことが本当なら、神の恩恵に応えて私が果たすべき仕事は、たった一つの単純な言い方で
表わすことができる:「私は創造者である神の無念を晴らすために生きている。」
この表現は厳密なもので言い換えることはできない。創造者でない神というものがあり得
るとしたら、その神は除かねばならない。また「神の無念を晴らす」の「無念」は、「怨念」
であってはならない。「怨念」と言ったとたんに、神の人間に対する復讐の意味合い生まれ、
それはあるべき神の概念とは正反対のものになる。神はどこまでも「愛の神」でなければ
ならない。たとえ人間に背かれ足蹴にされても、人間を創った責任者として、愛の神でな
ければならない。
またそこから、「権威者」でなく「権力者」としての、恐ろしい神の概念が生まれてくる。
ピラミッドの頂点から、階層をなして下賤な人間にまで下る、権力者としての神の概念が
生まれる。これがキリスト教文化では、ほぼ一般化し、青年マルクスは、「絶望者の祈り」
という詩で、「俺は、あの天上に君臨する神に向って復讐したい」と言った。ここから世界
の戦争が始まって今日に及んでいる。この階層性は極端に歪んで、「フリーメーソン」の 33
階級のような、悪魔の道具を生み出した。(ところで、タロット・カード占いが最近よく用
いられ、見ているとよく当たるようだが、やはりこれも、キリスト教の階層が元にあるた
めに歪められている、と思うことがある。)
私は、この階層をなすキリスト教徒の男性守護天使の方々から、協力と仲間入りを求めら
れ、最近、丁寧に断った。私の信じているものは、そもそもキリスト教ではない。「わが子
よ」と言われるのはよいとしても、「お前の罪は全部許すから…」などといわれる筋合いは
ないのである。ただ私は、この方々の知性の高さには尊敬の念を払っている。
神としての創造者の本来の居場所は、もっと生々しく現実的な世界であって、階層などと
いうものとは無縁の、まっ平らな平等世界である。私はこの創造者のことを Intelligent
Design 理論を通じて勉強してきたので、よく知っている。私の宗教は一般に、「分け御霊
みたま
」信仰と呼ばれるもので、我々の一人ひとりが創造者の一部を分有しており、不完全ではあ
っても、努力によって、創造者の立場にまで進化する可能性をもつと考えられている。も
しかりに私が、宇宙から特別の人間として呼ばれたとすれば、それは「創造者の無念を晴
らしたい」という私の言葉が、宇宙の注意を引いただけのことではなだろうか? 少なく
ともそれは、キリスト教の訓練には関係がない。
私の考える人間世界では、全員が完全に平等であり、かりに私の魂が特別の輝きを放った
としても、私が一段偉くなったわけではなく、私の人を教育する責任が一段重くなったこ
とを意味するにすぎない。最近のこの問題の騒動の中で、デイヴィド・ウィルコックが、
「favor(上から認められること)と duty(責任)は付き物だ」と言っていたことを、ご存
知だろうか?
言葉選びというものが、決定的に重要なことがある。私は、私がこのブログで述べたこと
の多くが、ユーチューブでほぼ完全に理解されて伝わっていることに驚いているが、それ
でも完全というわけではない。これはもちろん期待することが厚かましいのだが、たとえ
ば、私のことを、「この人物はずいぶんユニークなようだが、根本的な人間性がわからない」
というような意見があった。そういう人のために、ぜひ読んでいただきたいと思って、再
三、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を引用したのだが、そこまでは理解してもらえなかった
らしい。この詩に示されている智恵は(前稿を見ていただきたいが)、もしカインに殺され
る前に、アベルがそれをもっていたら、嫉妬を動機としてカインに殺されることはなかっ
た、と思われることである。私はこれをわかっていただきたかった。
もう一つ正直に言えば、私の本質が女性的であることが、宇宙から求められていた要件か
もしれない。これがなければ、私は平和のために働けなかったかもしれない。とにもかく
にも、戦争が現実的に、常に不可避であるような男性文化は、存在してはならないのであ
る。とんでもないないこと言うかもしれない、私が霊的次元の、極めて聡明で繊細な女性
エンジェルと(顔も年齢も見ないで)一種の恋愛関係を結ぶことによって――私にとって
これは前の記事で言ったように「人体実験」だった――地上と「神聖な次元」とのつなが
りが認識され、我々の世界の見方を一新され、奇跡を起こさせることができるかもしれな
い。ゲーテという詩人も本質的に女性的であった。彼の「永遠に女性的なるもの(を求め
る)」という言葉は、同類なので私にはよくわかる。
私は、日本語の非常に繊細で喚起力の大きな俳句というものが、(もし十分に理解されれば)
これら繊細な感覚をもつエンジェルたちと、我々の強い絆になると思う。私の自作の俳句
を一句、もし可能なら彼らに送ろうと思う。早春の喜びが、美しさと悲しみを伴って伝わ
ると思う:涙たたえ光る谷間や早春賦
もう一句は、私の亡母に捧げるもので、(前に一度話したように)私の母は貧乏寺に生まれ
育ちながら、当時まだエリートのものだった高等女学校を出してもらった。定期的に起こ
る母の心の痛みの一瞬が伝わると思う:
母の背に秋の月謝を言い淀む
「母の背」は、あの夏木いつき先生からのお題である。
最後に、いったい私はどういう立場に立たされているのか、いまだに全くわからないでい
る。そもそも「立場」などというものが、あるのかないのかさえわからない。こんなこと
を書いて、誰かから懲罰を食らうかもしれない。それは死を伴うかもしれない。何度も言
うように、もし私が独り者であれば、どうされようと、どこへ引っ張られようと平気であ
る。しかし私は「関係者」に囲まれて生きている。ただ、私は、自分がどうあるべきかを
突き詰めた場合、この世に生まれてきた人間としての責任がある。それは社会的な職業上
の責任ではない。創造者である神と私との間に生ずる暗黙の契約である。これは自分で破
ることもできず、人にも破ることを許さないものである