”つぶやき” | すべての答えと能力は その人の内側にすでにある。

すべての答えと能力は その人の内側にすでにある。

宣言しました、私にもわかりません、わたしが勝手にできません。3,22,2011.てふてふがベーリング海峡を渡る。

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に
困るものなり
Greatchain
May 5, 2024
「西郷隆盛 遺訓」に、箇条書きで書かれているものの抜粋である:——
30. 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末
に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。されど、このよう
な人は、凡俗の眼には見得られぬとぞ、申さるる・・・
31. 道を行う者は、天下こぞって謗るも足るとせず、天下こぞって誉むるも足れりとせ
ざるは、自ら信ずるの厚きがゆえなり。
これは有名だから知っている人も多いだろう。意味は解説するまでもないと思われる。
ところで、ユーチューブの英語版の、「守護天使」に選ばれた者としての私に対する、あか
らさまな攻撃と、悪意のようなものは、かなりの件数に及んでいる。そのほとんどは根拠
のないもので、こうしたものはほっておけばいいのかもしれないが、誤解は正さねば家族
にも及ぶから、一言釈明しておこう。
まず私が、大金を貰っているかのように匂わせるのは、言語道断である。またそれに関連
して、私のブログ記事に本名を使わないのは、人に言えない恥ずかしいことをしているか
らではない。「創造デザイン学会」www.dcsociety.org を見れば、一目瞭然なのだから、私
の名を世にさらしたい人は、ご自由にしていただいてよい。私がこれを使わないのは、売
名と思われたくないのと、ブログでは、本名を使わない方が一般的だからである。確か、
5、6 年前までは使っていた。(私のペンネーム Greatchain は、私の本棚のすぐ脇にあった
「存在大いなる連鎖」という本から借りたもので、大した意味はない。)私が、家族や近所
にも言えない恥ずかしいことしていると思う人は、どうぞ拙宅を訪問あるいは密偵してい
ただいて、いろいろ探っていただくとよい。
こんなことを言わねばならないのは情けないことだが、私は方便として以外にはウソはつ
かない。その代わり私は遠慮する気もない。私は自分を西郷隆盛と同等の立場にあると思

 

っている。人がどんなに私を非難しようと私は無関心であり、どんなに褒められようが感
激もせず、どうにも「始末に困る」人間である。その理由は、私にはこの世界を本気で愛
しているという自信があり、本気で国家のことを考えているからである。そしていわゆる
「毀誉褒貶」などは「凡俗の眼」に映るもの、凡俗の価値観でしかないと考えているから
である。
これを聞いて大笑いし、狂人の大言壮語だという人が大勢いるだろう。これに対しても私
は全く関心がない。そして西郷の言う通り、私のように半ば狂った者でなければ、この狂
った世界は救えないと確信している。私はウソをつかない、だから怖いものがない。何か
を小細工して、うまく生きていこうとは思わない。これに対し、我々のこの文明(?)社
会は小細工だけで成り立っている。我々の社会は、うまく誤魔化さないと生きていけない、
認められないようになっている。
しかし時代は急激に変わりつつある。ユーチューブに投稿する人々の中には、そのことに
気づいている人たちが、かなりいると思われる。そのように感じて、私とウマの合う人々、
私の生き方に共鳴してくれる人々が増えてきたと思われる。彼らが中心となって世界は変
わるだろう。やがて時代に遅れる人たちと、新しい時代を自覚する人々が、相容れぬまま
交流を断って、別々に生きていく時代が来るような気がする。
私は、我々と我々の生きる環境を創った創造者の、無念を晴らそうとして生きている――
それが究極の本音である。私にとって創造者は、苦しみを共有する存在だから、これを不
敬ではないかという人は間違っている。我々は神の一部を分け与えられ、神の一部として
成長しようとしてのだから「分け御霊」という捉え方が最も正確だと思っている。そう考
えてこそ、生きることの責任の観念が生まれてくる。これはいろんな職業上与えられた、
義務としての責任ではない。生きる喜びとしての責任である。
さらに私に対する世上の批判に戻る。私に対する女性と思われる人々からの「ラブレター」
は確かに多い。しかし、私がそういう人々に現実に関わったことは、ここ数十年来、ない。
このことは守護天使の方々にも知られており、真の愛とそういうものの成立しない我々の
文明について、語っている。そういうラブレターと解釈できるものの 1 つとして、私がぜ
ひ翻訳したいと思ったものがある。それは I’ coming to your door soon というタイトルの
もので、その深い内容(と使われた音楽)に感動して私は涙を流した。しかし私はこれを
断念した。これが英語であればよい。日本語の女言葉でこれを訳したら、恥ずかしくて聞
けたものではない!
私は現在 90 歳を超えたが、この年になって、本当に私を信頼し、私を保護してくれるだけ
でなく、私の感化力に期待してくださる守護天使に、会おうとは思わなかった。この方

私の生まれる前から私を知っていると言い、私の性格と、私の内部で起こっている感情的
な出来事のすべてを知っていた。彼は本当の意味で私の真の父親である。驚いたことに、
これは別の天使かもしれないが、私の生物学上の父を知っているという人がおり、生前の
彼が私を溺愛したこと、会いたがっていることを教えてくれた。