カエサル 神? | すべての答えと能力は その人の内側にすでにある。

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宣言しました、私にもわかりません、わたしが勝手にできません。3,22,2011.てふてふがベーリング海峡を渡る。

「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ」が
無視されたとき何が起こるか?
Greatchain
April 26, 2024
こんなに間を置かず、このブログを書くことの弁明をさせていただく。それは私の身を案
じて次々に警告してくださる、聡明でご親切な方々に、心からお礼を申し上げるためであ
る。私に対する彼らの要求は、どう言うわけかに日限が迫っていて、私が今にも彼らの罠
にはまるかもしれないという危険は、現実に存在した。もし、私にかかってくるはずだっ
た電話が、本当にかかってきたら、どう対処したかわからないところだった。しかし電話
はかからなかった。ただ私は確かに甘かったと思う。私一人の個人の問題が、これほど大
きなものだったとは気付かなかった。
私をめぐって現れているネガティブな感情は、単なる嫉妬や嫌がらせなどでなく、私がこ
のブログでいつも論じているいる「純粋悪」だったと考えざるを得ない。
表題の有名な聖書の言葉(マタイ 22、15-22)はよく知られているが、念のため引用する。
そのときパリサイ人たちが来て、どうかしてイエスを言葉の罠にかけようと相談した。
そして彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとに遣わして言わせた、「先
生、私たちはあなたが真実の方であって、真理に基いて神の道を教え、また人に分け隔
てをしないで、誰をも憚らないことを知っています。それで、あなたはどう思われます
か、答えてください、カエサルに税金を納めてよいのでしょうか、いけないのでしょう
か」。イエスは彼らの悪意を知って言われた、「偽善者たちよ、なぜ私を試そうとするの
か。税に収める貨幣を見せなさい」。彼らはデナリ一つを持ってきた。そこでイエスは言
われた、「これはだれの肖像、だれの記号か」。彼らは「カエサルのです」と答えた。す
ると言われた、「それではカエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」。
彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。
これはイエスの反対者が、イエスを困らせようとして難題を吹っ掛けるが、彼はそれに見
事に答え、反対者が一本取られるという、イエスの多くの名答の一つである。ただここで
は、それは難題でなく、当時のローマが、現在の民主国家と同じ政教分離を取っていて、
彼らがそれを知らなかったということにすぎない私は掛かってきた電話の内容によっては、判断する余裕が与えられず、イエスと同じよう
に「言葉の罠にかけ」られたかもしれなかった。
今、私に限らず、何人かの人々の間に起こっているのは、カエサルと神を区別しなくてよ
いと錯覚する人々の問題のようである。ただ私は考える余裕があり常識があったので、キ
リスト教の神の権威によって、たとえ私が功労を認められ、私に対し(霊的な力や激励で
なく)金品を与えると言われても、私は受け取ることができないと判断できた。これが国
家功労者賞であれば話は別となる。また、私と家族の家についても、はっきりしないが、
現在のあなたの家は捨てて、もっと素晴らしい夢のような家を提供する、というようなこ
とが言われているらしい。こうした胡散臭さについても判断できず、騙される人々がある
のであろう。万一、そうなった場合どうなるのだろうか? もしかしたら強制収容所送り
のようなことになるかもしれない。
私が世直し運動の模範的な活動家として選ばれて、にもかかわらず(あるいは、そうであ
るからこそ復讐として)そのような実験の実験台に乗せられようとしたとは、なんとも恐
ろしいことである。
カエサルと神が弁別されず、一体であることは何を意味するか? それは独裁的恐怖政治
あるいは究極の共産主義である。中世のスペインのカトリック教会を考えてみればよい。
現在のバイデン政権は共産主義に近いものになっている。
実は私は、ユーチューブを通じて、守護天使というものの存在に驚き、感動して涙を流し
ながらも、一方では納得できないものを感じていた。そしてもし我々が協力して悪と戦う
っているのならば、どうしてグローバリスト陰謀団とか、New World Order とか Deep State
といったものが、口にされないのだろうかと不思議だった。それはおそらく彼らの内部に、
神の側になりすました暗黒勢力がいたからだと、今納得がいくようになった。私のこの解
釈は間違っているかもしれない。現実も流動的ですべて納得できるわけではない。私のた
めに貴重な忠告をしてくださる方々の助言がなければ、私個人では途方に暮れる状況に置
かれている。どうかご指導をお願いしたい。
ただ先日言ったことだが、素性のわからぬカネだけは欲しくない、そしてこの世にいる限
り、名声だけは遠慮したい、有名にだけはなりたくない、という私の感覚が、単にひねく
れ者の感覚でないことはわかっていただけると思う。