灯台のような人 | くらやんのブログ

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私の文章に出会っていただき、読んでいただきありがとうございます❣️日々の生活の中で感じたこと、学んだことを書いています。みなさんのお役に立てれば幸いです。



マヤ暦では今年の8/5〜8が宇宙と繋がりやすい4日間

私を教師に導いた恩師が2人います。仮屋睦男先生と園田義治先生。2人は太陽と月のように私の成長を応援してくださった。
仮屋先生は中学2・3年を担任していただいた。彼は人権同和教育で全国的に活動していた方で、男女平等、民主主義、話し合いで解決することなどを教えてもらいました。
園田先生も同じく人権同和教育で全国的に活動していました。園田先生は高校の先生でした。私が仮屋先生のもとで書いた、左手をなくして初めて自分を見つめた作文を教材にして授業をされていました。
そのことが縁で、大学の4年の時に園田先生が勤めている都城泉ヶ丘高校の1年生400名を対象に人権教育の講演をしました。いじめ、受験差別、障害者の恋愛、社会での偏見、自分の中にある偏見、偏見のない人との出会い、教育実習での出来事を話しました。
人前で、自分をさらけ出す初めての経験でした。全員の感想文を読むと、一人ひとりが私の話を真剣に受け止め考えてくれていたのが分かりました。
そして、その講演会は4年連続で行われました。最後の年は、臨時教員になって初めて受け持ったダウン症の生徒の話を付け加えました。その子を受け持ったときの差別体験と同じ学年の生徒の社会を変えた偉大な力についてです。
それから、何度か人権教育研究大会や市民会議などで講演させてもらい、その話を聞かれた先生が人権教育の講演会に招いてくださることもありました。自分の学校の生徒には福祉や立志式などで話すようにしています。生きるとは、困難を乗り越え、人の役に立つことであるということを体験を通して伝えるために!

私が教師になったのは、大勢の前で自己開示し受け入れてもらった機会をいただいたことが大きい。
その機会をくれた園田先生は、昨日天国へ旅立たれた。
宇宙と繋がりやすい日を選んで旅立たれた。
何だか納得した。
私にとっては、人生の真っ暗な航路に明かりを示し、自分の現在地といく先を照らす灯台のような方だった。

今日は学校が終わって、1時間半かけて都井岬の灯台に行った。そこで園田先生とお別れをした。感謝と決意表明をした。次は私が灯台になり、機会を与え、成長を応援するようになると!その時、強い風が吹いた。応援されてるようで涙が出た。応援はまだ続く。今日の都井岬は、30分ほどの滞在で野生馬を40頭は見た。すぐ近くまで来てくれたお馬さんもいた。
教師という仕事を教えてくれた串間で、園田先生とのお別れができて本当によかった。
先生との約束を果たせるように生きていこう!