「今回はつわり軽めかもな」という予想を裏切り
(予想だけは楽観的にいきたかったのよ~)
先週今週とつわりで悶絶しています。
しんど~🤣
しかし、このつわりというシステム。
わたしにはすっごくありがたいものに思えるのです。
今、わたしのからだでは、この子が一生生きていける肉体をせっせと製造している。
胎盤も製造中。
そんな大工事がわたしのからだのなかで昼夜問わずおこなわれている。
でも、肝心の、母体のわたしにはその大工事が見えないし、分からない🤣
つわりという、
嵐のようにやってくる吐き気と、
嵐のようにやってくる強制終了スリープ(気を失うようにいきなり床で寝る)は、
そんな大工事中のわたしに「やすんでいいよ、てか、やすめよ」と許可をくれているかんじがする。
つわりって良いシステムだよなと思う。
(でも、早くおさまってほしい!!)
わたしの祖父は8人兄弟、祖母は6人兄弟だけど、
洗濯機も掃除機も乾燥機も車もないような時代に、
つわりを味わいながら何人も育てているなんて・・・
HISAKOさん(※沖縄県在住の助産師さん)だって12人も出産してて、そのぶんだけつわりを経験してて・・・
ほんと、女ってすごい。
ただ、
この女のタフさの使い方は、一歩間違えれば、いのちを削ることになる。
と思う。
タフであることと、無理をし続けることは、同じじゃない。
女は
あれもこれも同時にできるし、
献身的だし(生まれながらに生理妊娠出産という他の命のために自分を差し出せるシステムをすでに身体に装備している)
我慢強いけど、
それと、無理をし続けることは同じじゃない、と思う。
むしろ、女はタフにできるからこそ、
「あえて自分が頑張らなくていいところを見つける賢さ」が要るのだろうと思う。
さて、そんなつわりピークに向かっているなかで
(もう今がピークだと思う。この2週間で何回死んだ心地になったか分からん)
今朝、涙を流してえんえん泣いたことがあった。
妊娠してから感動しやすくなってる!
以前から、
買い物に限らず、いろいろなことで感じていたのは、
「担当がいるってすごく楽」ってこと。
たとえば、お買い物関係でいうと、
わたしの場合は担当さんがついてくれるというのは車(Audi)と化粧品会社(メゾン)のみなのですが、
今年に入って「ながーくながーくおばあちゃんになっても使えるカバンが欲しい」と思ってヴィトンに行ったんです。
このときの自分のなかからまぼろしがいっぱい出た話とか、
そのひとつひとつに今も丁寧に向き合っている話とかは、
また熟成したころにどこかで話せたらと思います。
まだね、自分と向き合っている途中で、問いが解けずにあるのだ。笑
そのときに、わたしは今までヴィトンで買い物をしたことがなかったので知らなかったのですが、
座っているだけで「こういう柄が欲しいです」「ファスナーがないのはいやです」とか、
わたしのリクエストを一通りきいてくれた店員さんが
わたしのリクエストにかないそうな商品をもってきてくれるんです。
真ん中っ子ちゃんを抱っこしていたわたしは「めっちゃ楽!」と思いました。
自分で探しにいかなくても「これが合うんじゃないか?」って、わたしの服装とか持ち物とか、ちょっとした発言から、
ちゃんとわたしのリクエストにかないそうな商品を選んできてくれる。
担当がいるって、めっちゃ楽!!
ただ、合わない担当だと楽じゃないと思うけど(笑)
そのときに、「わたしの人生にはたっくさんの担当がいる人生にしよう!!」って思ったんです。
ただ、やりかたはよく分かりませんでした。
どうやってそういう人生になるのかは分からなかった。
だけどやりかたなんてわからなくていい。
だってやったことがないのだから。笑
わかっている必要はない♡
わたしの仕事は願いをバシッとはなつこと。
それからというもの、
ことあるごとにわたしは「担当があらわれる」をOKしていくようになりました。
最近のはなしでいうと、真ん中っ子ちゃんの保育園入園。
入園は何よりわたしがすっごく寂しかったけど(入園4か月前からわたしが泣いてた)、
体力的にこの子はパワフルすぎてわたしがついていけなくなってきていたので、
2歳を目前にして入園を決めました。
そうすると、真ん中っ子ちゃんには保育園の先生、給食の先生、バスの運転手さん、事務の先生など、
たくさんの「担当」がつきました。
おかげでわたしの分担が軽くなり、すっごく楽になりました。
つわりがきつい今、
わたしには子育てや家事を担当してもらえる母がいません。
正確には、母はいるのだけど、片道2時間離れているし、義理の実家も片道2時間離れているし、
母はダブルワークでわたしより長時間働いていて連日のおやすみをとるのが難しい。
わたしの産後だって、母が連日やすんでヘルプするのは難しいと言われています。
わたしはいつも「親が近くにいたら助けてもらえるのかなぁ」って、
吐き気とたたかいながら思っていました。
つわりで悶絶しながら真ん中っ子ちゃんの面倒をみているときも、
「お母さんがいてくれたらなぁ」「だれかが助けてくれたらなぁ」って思うことが何回もありました。
でも、今週、あっと思うことが何度もありました。
ご近所さん(女性)が新鮮な野菜をたくさん運んでくださったり(妊娠中だというとリヤカーでいっぱいもってきてくれた)、
神楽の先生のおうちでたくさんおもてなしをしていただいたり、
真ん中っ子ちゃんの保育園の先生が妊娠中のわたしに気をかけてくれて「力になりたいです」って希望を何度も聞いてくださったり、
旦那さんは家政婦さんのようにあらゆる家事を毎日してくれている。
わたしにはお母さんが何人もいる。
みんなをわたしのお母さんって呼んでいい。
と思いました。
その瞬間、
わたしは小さいときから母が不在で
(ひとつきに10日は夜勤でいなかった。夜勤じゃなくても夕方行って夜中の3時に帰宅したり、夜は母不在が多かった。
あまりに会えなさすぎて小学校高学年まで母と交換日記で近況報告していたほど)
学校から帰ってきてもお母さんが家にいないから(しかも、夜もいない)
近所の何軒かのおばあさんたち(親族ではない)
幼馴染のお母さん。
ときどき、父方のおばあちゃんち
に行っていました。
そうか、わたしはたくさんのいろんな「お母さん」に囲まれて育てられて生きてきたし、
今もそうなんだなぁ。
と気づいたとき、
「血縁のお母さん」に助けてもらうことを「それがお母さんがすること(すべきこと、してほしいこと)」って見なしていたのはわたしで、
ほんとうは、だれがお母さんをやってもいいし、お母さんは何人いても良いんだな。
血縁のお母さんかどうかっていう、
境界線を引かなくて良かったんだな。
と思うと、なんだが、深いところからゆるしが起きた心地で、朝から涙がとまりませんでした。
ずっと、わたしはたくさんのいろいろなお母さんに愛されていたし助けられていたし、
「あいこ担当」がたくさんいる人生を歩いてきていたんだな。豊かだっただな。と思いました。
お母さんは何人いても良いし、
お母さんがたくさんいる人生のほうがきっとわたしはやってみたかったから、
あえてこの母親を選んで生まれてきたんだなと思いました。
さて!
つわりの波は人それぞれ。
わたしはわたしの波を感じ、知り、あらがわずに漂いながら、対策しつつ過ごしていきます。
たくさんのお母さん(旦那さんも!)に支えられながら🥰
家族が増えることに伴い、
今年をもちまして新規の依頼を全て停止し
しばらく休業いたします。
わたしが提供しているメニュー
(チャネリングメッセージ、インド占星術鑑定、個人レッスン、オンライン個人セッション等)
をご希望のかたは夏ごろまでにご依頼ください😌
オンラインショップ
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