愛子様💐

 

 

先程は長時間にわたって、お時間を割いて下さりありがとうございました。

 

 

ひとつわかったのは、ここ10年近く以前の職場で快を感じるセンサーが働かないほど自分の気持ちに無理をさせていて、愛子さんとの出会いを通して、自分の気持ちを大事にするために転職をしました。

 

 

快のセンサーの受信を自分に許可したことは、とても有り難くもあり毎日が幸せで、いつ死んでも悔いはない⁉️とまで思える位でした。

 

 

でも不快に感じるセンサーは今まで同様に封印して、見なかったとこにする、知らなかったことにする、世の中はそんなものみたいにしていたことがわかりました。

 

 

心の不快センサーを封印していたことに気がつかなかったことが、1週間寝込んで、仕事を休むと言う自分史上前代未聞のこの事態を引き起こしたことがわかりました。

 

 

自分ではいつも相手の気持ちを考えて大事にするようにしていたのに、不快に思う自分の気持ちを認めなかったことは自分を大事にしていなかったのですね。

 

 

自分の気持ちを大事にするって口では簡単に言えますが、難しいことですね。

 

 

宿題取り組みます。

 

 

本日はありがとうございました。

素敵なカーネーションが愛子さんの後ろにあって、旦那さんやこどもさんの温かい愛を感じました🌺

 

 


 

クライアントさまからブログ掲載OKを頂いたので2021年度オンライン個人セッションの感想を掲載しました♡




クライアントさまありがとうございました🥰

 

 

2021年度オンライン個人セッションは満員御礼のため、現在は新規さまの予約受付を停止しています。

 

 

 

 

 

 

 

最近、集合意識がそうなのか(何かしらに対して不満や不安がある人が多い)、


「やさぐれている」

「いま怒っていることがある」

「ちぇって思うことがある」


というクライアントさまがオンライン個人セッションに来られます。笑

 

 


 

こういう感情的な案件は、

クライアントさんは話している途中からためこんでいた感情があることに気づいてどんどん出すわ、泣くわ、爆笑するわ、まるでダム放流のよう!

 

 

 

 

 

話が進むにつれて、クライアントさんがためこんでいた感情があふれ出して涙を次から次へととめどもなく流れ泣いているさまを見るとわたしは心からホッとします。





「ああ、やっと出したか!」って。

生暖かい人間の温度を感じます。

 

 


 

日本人は「怒ったらいけない」としつけられている傾向が強くて、「怒っても自分の中に入れておく。たとえひとに怒りの気持ちを話しても特定の人まで!」みたいなものがあって。

 

 



最近は小さいこども同士ですら盛大なケンカができないですよね。

 

 



 

喜怒哀楽、どの感情も優劣などないのに。


喜びを味わったときだけは盛大に喜んで、

怒りを味わったときだけは自己処理をしないといけないなんて。


怒りを感じてもそのあとに自分が無視することをしていたら、

じきに喜びを感じることだって鈍くなるんです。

 

 







 

こう書くと「じゃあ怒りは外に出したほうが良いのか?」といった、ゼロか100か、白か黒かという極論を考える人もいるかもしれないんですが、


そういうことじゃなくて、


「感じたあとに自分がその感情を直視するか無視するか」

がポイント。


 


 

怒りを感じたあとそのたびに怒りを外に出しまくっていたらそれは「直視していない」



100度の温度の怒りを外に出していたら(人に出していたら)そりゃあ相手はやけどします。

相手が傷つくってこと。

関係が崩壊していくってこと。

自分も疲れることになります。

 


 

 

怒りを「直視したうえで」出すのと、


怒りを「ただの自分の反応として」出すのは、


べつもの。

 

 



 

自分が怒りを出したら人を傷つけるとか、

自分が怒りを出したらさらに自分が疲れるかもしれないとか、なぞの設定がある人がいますが、


それは

怒りを「直視したうえで」出す大人に恵まれてこなかったから。




どんまい!

100度の温度のまま怒りを出してくる親なり上司なり人間なりに恵まれてしまったのでしょう。








 

前述したように「腹の中では怒っているのに表向きはいいこちゃんを演じる人」が多い日本は、

自分が結構怒っていることにすら気づかない人が多い。

 

 


 

でも、日本人のとっても美しい部分というのは「感受性の高さ」なんですよ。繊細で敏感なんです。

 

 

 

 

だから、怒りは感じているわけです。

 

 



感じたくせにスルーするから、

やがて自分のなかで、

汚臭を放つわけです。





もし、あなたが高校生で、クラスの誰もあなたの存在に気づかず名前も呼ばず相手をしなかったら?

先生からもクラスメイトからも。



そりゃあ、誰だってグレますよ、ひねくれますよ、やさぐれますよ、汚臭だって放ちますよ(笑)



シカトするんじゃねー!

ここにいるだろうがー!

って。

 


 

 
怒りが、グレるんですよ。

ひねくれて、やさぐれて、汚臭を放って、増大になるんですよ。

自分が無視したから。
 
 

 
だから、
感情を感じたらそれが喜びでも怒りでもなんであれ「止まる」「認める」んです。


みとめるとは、見+止める(みとめる)です。

 

 

 

 

 

 

 

怒りの感情って、結構、ねちっこくて、しぶとくて、自分にとってもややこしい奴じゃないですか。

 


 

だから、怒りを感じたのにシカトして無視したくなる気持ちもよく分かります。

「怒りの感情はめんどくさい」みたいな(笑)

 

 



でも、のどもと過ぎれば忘れるわけではないんですよ。





怒りって、チャッカマンなんです。



着火させるためのものでもあるんです。 



何に着火させるのかというと、

自分がさらに高みにいくための気づきをもたらすための「内観」への着火です。



自分が自分に内観をさせようとするんです。

 

 

 

 

 

 

次回も続きます♡→




 

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