ゴスペルをやっている。
「ゴスペルをやっている」と言うと、「それってゴスペラーズってこと?」などと言われゴスペルとアカペラがごっちゃになってていとおかし。
今からさかのぼること20年近く前。
それ以前30代の時に同僚とカラオケ行くのが流行ってて(笑)その後カラオケ熱は冷めたものの、「なんか歌歌いたいな~それも一人じゃなくて複数で。けれどママさんコーラスはかんべん柄じゃないもの」なんて周囲に言っていた。
それを聞いていた一人が「教養口座みたいなのにゴスペルあるよ?」と教えてくれて見学に行ったその時から20年弱。思えば遠くに来たものだ。
ゴスペルの元はキリスト教会に於ける讃美歌のアレンジから来てるけれど、宗教から入ったわけでもなく、「みんなで歌いたいな~ポップな感じで!」なんて不純な動機の割りにここまで続いたのは、ゴスペルの精神世界が好きだからに他ならない。
ゴスペルにはエロスは無い。
ひたすら無償の愛アガペーを歌い踊るんである。
これをしたからこうなって欲しいとか、嫉妬とか、物欲、人間の持つ欲からかけ離れたところで神への愛を歌うんである。(たぶん)
わたしは今こうしてたいへんな状況にあるけど神さまは見てて下さり助けて下さる。
神さまになにをしてあげられるわけじゃないけど、神さまはわたしを引き上げてくれる。
助けてくれなきゃすねちゃうよ?(←こういう曲も存在する)
これぞ他力本願だと思うんだけどどうなんだろう。
そして素敵なのは元の讃美歌とは似ても似つかないポップな感じで歌えるところ?
17世紀アフリカから奴隷としてアメリカに連れて来られたアフリカ人がルーツとされるゴスペル。
国を奪われ、言葉、名前、宗教、文化、さまざまなものを奪われた異国の人々は、いつしかお仕着せの讃美歌に飽きたらず自身のリズムでビートで讃美歌を作り変える。
例えばこんな感じに
元歌
それがカーク・フランクリンにかかると…
そしてこうなる!
遠い昔にアメリカに連れて来られたアフリカ人は、キリスト教の教義をどんな風に感じたんだろう。
人として否定され奴隷としてかしずく生活を強いられてなお、ゴスペルという文化を作りだしなお進化する姿はあっぱれと言うしかない。
見倣います!
※注 他力本願とは他人をあてにするという意味ではなく、神が(勝手に)皆を幸せにしようとしていることを指します。
