diary_20230628_(貼り忘れ過去日記)_カフェタイム、裁判傍聴、根底にあるもの | 都のブログ

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カフェラテ

傍聴してきました。
(お仕事始まるとやはり平日日中は行けなくなるのだけど、行けるうちは行くのね)

今日、マーク氏がスピーチしてくれたの聞いて(て、やはり英語分からず通訳してくれた方の話と聞き取れた単語を加味して)。
当事者の方が圧倒的に、成熟した感情と倫理を持っているのだろうと認識しました。

施設という閉鎖空間の中で、絶対権力ともいえる入管職員の多勢による精神的圧力や、逃げられない状況下での身体的危害を受けながらも。
精神を保ち、目の前の世界に絶望を見ながらも、外にいる他の人間への信頼を絶やさずにいたこと。

散々の差別や偏見に苦しめられ、主張が聞き受けらない世界を経験しながら、構造的な問題も含めて覆らないであろう絶望を認識しながら、つまり心を閉ざして全ての人や組織を拒絶し助けを求めることも止めてしまってもおかしくない状況でありながらも、司法や人々が正しくあってくれる希望を絶やさずに灯す努力をつづけ、それを言葉にできるということ。

当事者から、学ぶことが多い。

これができなくて、理解を求めることも、信頼し合うための投げ掛けをつづけることもできなくて、冷笑社会になってるのではないのかな、日本。

という、誰かのためには動けるけど、話も聞かず偏見で散々叩いてきた人と手を取るの無理だわーという拒絶反応が起きる、私という存在も、冷笑じゃないけど輪にならない異端であるのん···という。

すまへんのう。

健康に生きましょう。
また。

チキンサラダサンド?