(再び画像載せれず...急に載せれたり載せなかったりで訳が分かりません)
ひきつづき、『支援者によるnote ガザにいる友人の物語』として支援者の皆さんによるnoteをご紹介するミニ冊子を置かせてもらっています。
今月は縮小して展開中の『十条からパレスチナへ 』第3段は、自家焙煎珈琲 梅の木 十条店さんの入り口を入って右手のピアノの上のスペースをお借りしています。
ミニ冊子はお席までお持ちいただいて大丈夫です。
冊子を並べた棚の左に、imoimoさん作成+疋田さん広報ご担当のチラシや、支援先の皆さんの寄付サイトQRコードを掲載したラミネート冊子、支援者の皆さん作成のバナー画像を出力してご紹介しているラミネート束などがあります。
バナーはフォーマットのある専用アプリを使用されているのでは、と想像していますが(未確認でごめんなさい)。バナーの文字の大きさや配色、言葉の選出がとてもデザイン的で解りやすく、重要事項の優先順位を明確にしたとても優秀なもので驚きました。主観が強くなってしまう私の作業よりもずっと端的で明確で優れていて(汗)、その作業量と合わせてずっと気になっていました。
今回、企画第3段として支援者の皆さんをご紹介するにたり、改めてご連絡ご相談するようになりつくづく思うのですが。自己紹介文を目安の文字数をお伝えしてお願いしても、少ない文字数を守った上であたたかく濃いメッセージを用意してもらえたりと。皆さんとても温かい対応をくださりながら作業がとても優秀です。
その、支援者の皆さんについて。ガザの皆さんの生活が一変してしまったように、その近くで手を繋いでいる支援者の皆さんは、これまでの生活と一変した今を送っていると感じます。その疲労が目に見えて顕著になっているようにも感じます。
しかし、停戦協定合意後の今も尚、北部、南部と至るところで銃撃事件が起き、空爆もされて市民が殺されてしまっている... 建物やインフラが破壊された中でギリギリのところで命を繋いでいるのに、物資が止められ、生活用品も食材も医療品すらも不足して、困難な気候の中で、意図して命が奪われている... だからこそ、今、尚強く手を繋ぎ直す必要があることを、皆さんは知っているんです。
私たち人間は、何をしているんでしょうか。
次の言葉を目にした人も少なくないと思いますが。心臓病を患いながらご家族を守ってきた方が、(機会翻訳ですが)「私たちはいつか天国に移住する。地球は故郷ではなかったし、これからもそうだろう。」と投稿されました。
ずっとご家族のために世界に私たちにたくさんの言葉を投げ掛けて支援を求めながら、必死に虐殺を生き抜いてきた方です。
そこに掛け替えのない人生が、たくさんの幸せな記憶が、ご家族との歴史が刻まれているだろうけれど。私たち人間社会は、彼らがそこに当たり前に生きることを否定するかのように、非道で残虐な虐殺行為を止めることも声高に批判することもできずに、安住の地を与えようと庇うこともせずに、広大な陸のあるはずのこの地球で、彼らに一呼吸の安らぎを与えることもしなかった。
武器を買わせるためや、リゾート地として領土を得るためや、刷り込まれた差別意識に基づいてや、数々の愚かな理由を嬉々として振りかざしながら、尊く誇り高く気高い人間の美しさを持つ人々の存在を消そうとしている。
こんなことはおかしいと、必死に争ってきた支援者の皆さんのような人もいるし、南アフリカのように国を上げて虐殺を容認しない行動を取った方々もいるけれど。
圧倒的に声が足りない。
傲慢な権力者たちの欲が自分の世界に忍び寄っていることも知らずに、その加害に加担することを選ぶ人が多い。
それでも、いまこそ声を繋いでいく。『ノー・アザー・ランド』がアカデミー賞を取った。(私は予定でまだ観れていないけれど...)
気付き、目を覚ますときがきたのだと思う。私たちは、私たちの地球を見つめ直す必要がある。隣人が幸せに微笑むとき、あなたも幸せな想いに満ちるのだと知らせたい。この道を正せたとき、空はきっと途方もなく青くなる。人間がこの過ちを止めれたとき、それぞれの明日に明かりが灯る。その道はより豊かになる。
私たちは、目を覚ますことができる。虐殺を止めることができる。そう信じる。
健康に生きましょう。また。


