1992年の夏、

約5年半のアメリカ生活を終え、

家族で日本に帰国。


 


今まで慣れ親しんできた景色と違い、


勝手の分からない日本での生活の始まり。


 

 

 

 

そして

小学3年生の2学期から、

地元の小学校へ通い始めました。

 

 

 

転校生、

しかも

アメリカ帰りの帰国子女

 

 

ということで、

 

廊下を歩いている時も、

何人もの子達に囲まれて、

色々質問されたり、

 

「ねぇねぇ、英語喋ってよ〜聞きたい!」

と言われたり、、

 

とにかくしばらく注目されました。

 

転校生自体が珍しかったんでしょうね。

 

 

 

こんなに注目されることは、

私にとっては初めての経験。


 

何が起こっているのかわからない感じで、

戸惑いの方が大きかったです。

 

 

 ほかにも


体操服や上履を学校指定のものにすること


帽子とかも皆んな同じ赤白帽キャップ

 

学校生活を送る上では

皆同じものを持つことが当たり前の生活Tシャツ

 

 

お揃いにすること

 

皆んなと一緒


 

があまり好きではなかった私は、

強く主張することはありませんでしたが、


心の中では皆んな一緒は嫌だなぁと

思っていました。



色んなことに対する

カルチャーショック!!びっくり




私にとって(感覚としては)

ここ日本は異国の地


とにかく

日本人の仲間に入れてもらいたい



どうやったらこの日本社会に順応できるか



日々周りを観察しながら、

この新しい生活に慣れようと必死でした。


 

 



そうやって頑張って小学校生活を送っていた私に



私の今後の人生に大きな影響を与える

出来事が起こるのです。。。

 

 

 

 

 


ある日から突然



クラスの

ほぼ全員から無視されたのです

。。


 

 

きっかけは、本当に些細なこと

 

 


小学校5年生の夏、

夏休み中に課外授業があったのですが、


私は中国に1ヶ月ホームステイに

行くことになっており、

参加できませんでした。

 


夏休み前に、

一人の女の子が、

 

 

「ねぇ、なっちゃん。

 夏休みの課外授業 一緒に行こうね〜」

 

と私に声をかけてくれました。

 

 

それで私が

 

「あ、夏休みに私中国行くから行けないんだ」

 

と言いました。

 

 

それがその子と交わした夏休み前の最後の会話。

 

 

 

 

 

夏休みが終わり、2学期の始まり。


 

中国に行ってきたと知っていた担任の先生から、

 

「どんな体験だったか、

  ぜひ皆んなに紹介してほしい」

 

と言われ、

クラスの皆んなの前で

中国でどんな体験をしてきた発表しました。

 

 

そしてその翌日だったか、

その前後で急に、、

 


私と話をしてくれる友達が

ほとんどいなくなりました。

 


普通に話してくれていたのは、男の子1人くらい。


その他の子は、私が話しかけても知らんぷり。

 

 


 

「え、私の声が聞こえてないのかな?気のせい?」

 

と最初は思ったものの、

 

「あれ、何かがおかしい。。無視されている。。」

 




仲間に入れてもらえない、

仲間はずれにされている


何とも言えない


「孤独感」


を味わいました。

 



私の存在そのものが否定というか

 

ないものとされていることが

 

とっても辛かったです。。




学校5年生の子供ですから、

何があって私を無視することになったのか

真相はよくわかりません。



後から分かったことは、

この私に声をかけてくれた女の子が主導になって、


私を無視するように周りに促していたということ。





必死に日本の生活に馴染もうと

頑張っていた私にとって、


この無視された体験は大きな傷となりました。








私が無視されて皆んなから仲間はずれにされたのは


私が皆んなとは違う行動をしたからだ


だから私、仲間外れにされたんだ



と。




以後、私はこの日本社会を生き抜いていくためには



出る杭は打たれるから

なるべく目立たないようにしないと!



もし変に目立ってしまったら

ここでは生きていけない


目につくような

主張することは避けなければいけないのだ!


みんなに合わせないといけない!







自分のことを話してなんぼ

自分を主張してなんぼ

という文化のアメリカという国で育った私




小学校で味わった

無視されるといういじめ体験。


そしてその後にも、


中学の時も割と壮絶ないじめ体験が

あるのですが、




この体験を通して私が肌で感じたことが、



1番のカルチャーショックでした😵






自分の意見を主張したいこともある


でも私が何かしたことによって


みんなから叩かれて、孤独になるのが恐い


あの孤独は2度の味わいたくない



この痛みをこれからも味わいたくないがために、


これまでの考え方、生き方を変えないと

ここ日本で私は生きていけない


と強く思ったのでした。







いじめた子に私が言いたかったこと




それは、




陰で私の悪口言ったりするんじゃなくて、


私のことが嫌いならはっきり嫌いって言ってよ!

(それはそれで傷つくんですけどね。 

 でも何も言わないで

 突然無視されたりするよりはずっとマシ)




ということ。




・自分の意見をはっきり言わない感じ

・周りのみんなも空気を読んで行動する感じ




この曖昧な態度、空気感が嫌で、

日本のことがどこか好きになれずにいた私。




日本人は笑顔で話しかけてくれたりするけど、

自分の気持ちははっきり言わなかったりするし、

本当のところ内心どう思っているか分からない。




日本の集団生活の中で生きていくのが恐い



日本人が恐い




この気持ちは

この時から大人になるまで、


ずーっと私の心の中にありました。






平気な顔して、


大丈夫なフリをして、



なるべくいつも笑顔でいたけど、



本当は、内心ずっと恐かった。





自分の素直な意見を言う時には、

それが多くの人に受け入れられるのか気になり、、



もし受け入れられなかったら、

周りから世間から叩かれて、


孤独になるイメージしかなくて。。


恐い。




でも主張はしたいから、


出来そうな相手や場を選んで出してみたりして、


恐くなればまた引っ込めてみたり。



変に目立ってしまいそうな時は、

自分の意見を引っ込める、なるべく話さない



そうやって

抑えてきた気持ちや言い分は結構あります。


(この自分の気持ちを抑えて、

      相手に合わせるのは、


 日本での生活の影響だけでなく、


 親との関係性も影響しているんですけどね)





日本にいると気を張っていて、

いつもどこか緊張している感じでした。





アメリカに帰りたい気持ちがあっても

アメリカ人ではないし、帰れない



日本にいても仲間がいない

私の居場所がない


誰も私のことを

本当に理解してくれる人がいない


という


「孤独感」「絶望感」




本当に最近まで

この恐れや孤独感をもっていました。




私としては、

日本での生活で自分自身を抑圧して

生きている感覚をもっていたので、



将来は、

アメリカに行って(私としては帰る感覚)

自分の何か置いてきてしまったものを

取り戻したい


自分の居場所が欲しい

でも

それはここ日本ではないのかもしれない


そんな気持ちをもっていました。






色んな転機があり、

出会いがあり、

今はこの恐れの気持ちはだいぶ小さくなり、



あの当時の自分からは想像もできないくらいの

安心感を感じられるようになりました。




また今後のプロセスの中で

綴ってまいりますね。

 

 

とても長くなってしまいましたが、


ここまでお読みいただきありがとうございますニコニコ




〜つづく〜