こんにちは!


今日も私の自己紹介の続きを

綴ってまいります☆


 

前回のストーリーは、

こちら

 


 

 

 

 

 

 

 

   🇺🇸物心ついたのはアメリカ🇺🇸

 

 

私が3歳の時、

父の仕事の関係で家族全員でアメリカに住むことになりました。

姉は中学一年生。

私は次の4月から幼稚園入園というタイミング。

 


私は日本で過ごしていた記憶は全くなく、

 

物心ついたのはアメリカでした👀

 

 

現地幼稚園に通い、確か私が初めて覚えた英語は、

 

「hamburger」だったような(笑)

 

 

3歳といえばちょうど言葉を色々と覚え始めるとき。

 

幼かったので、言語の壁を感じることなく

幼稚園にもすぐに慣れ、楽しくお友達と遊んでいました。

 

 

月〜金まで現地の学校、

小学校になると毎週土曜日に日本人学校へ。

 

週に一回ランドセルが背負えること、

日本人のお友達と過ごせることが嬉しくて、

毎週楽しく通っていました🎒

 

 

私が日本語を使うのは家族との会話の時だけ。

外に出ればほぼ英語しか話さないという生活。

 

 

「お母さん、〇〇って日本語でなんて言うの?」

 

とよく聞いてしまうくらい、

英語で話すのは私にとって自然で日常でした。


 

 

学校では毎朝、

みんなで胸に手を当てて、

アメリカ国歌を斉唱アメリカ

 

 

「今日のあなたの服装のポイントを話してください」

「〇〇についてのあなたの考えを話してください」

など、

皆の前で自分の意見を述べる機会がしょっちゅうあり、それが当たり前

 


「私は 〇〇が好きで、

こうしたいと思ってます。」

 

みたいな自己表現をする機会がたくさんありました。

 

 

幼いながらに、

 

自分は今どうしたいのか、

何を感じているのか、

何が好きなのか、    


といった、



自分の意見をはっきり持つ

 


ということが日常であり、自然にやっていました。

 

 

(間違っていても、途中で変わったりしてもいい)

 

とにかく、

YES  or  NO を自分の中ではっきりと持つ

 

それが大事という文化の中で育ちました。

 

 

 

 

 



私が現地で通っていた学校のクラスメイトは、

白人、黒人、ヒスパニック、アジアンと様々な人種の人たちがいました。

 

 

その中でもアジア系は、

私と中国人の女の子の二人だけ。


人種でカテゴリー分けするのであれば、

私はアジア人であり、日本人という少数派。

 

 

でも、気持ちはアメリカ人🇺🇸

 

 

 


私は皆んなとは違う人種なんだよな、

アメリカ人になりたいけど、なれないんだよな

という 寂しさ みたいなものを心の中で感じていました。

 

 

様々な人種が集まっているアメリカ人の中で

しっかり存在感を出せるように、

自分というものを持ちたい、

アジア人だから日本人だからと舐められたくない

 

 


今振り返ってみると、こんな気持ちを持ちながら、

アメリカでの学校生活を

私なりに頑張って送っていたと思います。

 

 

 

 

 

このはっきり意見を持つという文化を象徴する

私と友達とのエピソードを紹介します。

          ダウン

 

 

 

私には、近所に住んでいた レベッカちゃんという仲の良いお友達がいました。

 

ある日、そのレベッカちゃんのお友達が遊びに来ることになっていて、

ちょうど私も一緒に遊んでいたので3人で遊ぶことになったんです。

 

 

そのレベッカちゃんのお友達が来る前に、

レベッカちゃんは私にこう言ったんです。

 

 

「なつこ、いい。

 これから遊びに来る私の友達は、あなたのことが嫌いなの。

 だからあなたには一切話しかけずに、私と二人で遊ぶと思う。

 でもね、私はあなたのことが好きだから。そのことは覚えていて。」

 

 

私は、

「そうなんだ、わかった」 と答え、

 

私が日本人だからかな〜

私の何が嫌なんだろうな〜

と気になったり、一緒に遊べない寂しさを感じていたりしたものの、

 

 

でも、

レベッカちゃんは私のことが好きでいてくれている

そのお友達が私のことが嫌いなだけ

 

と、



一人で仲間外れみたいなされても、

その理由がわかっていたからなのか、

そこまで傷ついた体験として残っておらず。


はっきりと言ってくれたからこそ、

私には分かりやすくて、

むしろ清々しいような気持ちもあったような気がします。

 

 

 

 

日本だったら、なかなかこんなにはっきりと好きとか嫌いとか言ったりしませんよね〜

 

ましては、人間関係においては特に。


このエピソードは凄く印象的な出来事として

私の記憶に残っています。



日本帰国後の友達とのやりとりでは、

また違った体験をしたので、後にご紹介したいと思います。




 






このように

アメリカ文化の中で育ち、

 

日本人だけどアメリカ人の私という存在を少しずつ形成していました。

 

 

 

 

そして、

私が9歳を迎えた夏、

父はアメリカでの任期を終え、

いよいよ家族で日本へ帰国することに🇯🇵

 

 

アメリカ生活の中で、

少しずつ自分というものを形成し始めた私は、

アメリカを離れることが凄く寂しく、後ろ髪をひかれる想いを抱いていました。

 

 


日本へ一時帰国はしたことがあったものの、

気持ちの上では日本に住むのは初めての感覚。

日本でどんな生活が待っているのか、

とにかくドキドキでした。





この時の私は、

日本に帰国してから、

自分の今後の人生に大きく影響を及ぼすような

辛い体験が待っているなんて

夢にも思っていませんでしたガーン



つづく、、、