吹奏楽部に入部したどんちゃんこと私。
アルトサックスになり、放課後は音楽室へ。

先輩は1つ上のKさんのみ。
そのKさんが1年の4人を面倒見てくれる。
とにかく楽器になれること、音を鳴らすことが必須であり、廊下に並んで、マウスピースと手鏡をもってピープーとならす。

手鏡?
アンブシュアを徹底的に教えられ、覚えされられた。その為に鏡を見ながら広角をあげる、頬を膨らませないなどのチェックをするため。

おかげで、30年ぶりに吹いても、そのアンブシュアは覚えていて音もなった。

私たちが入学し吹奏楽部に入部したしたと同時に顧問が代わり、N先生の指導を受けることになる。

その先生が恩師となり、私の人生にもいろいろ関わってくることになる。
それはまたいつの日か・・・・・

音がなるようになり、音階が吹けるようになったきた頃、2つの楽譜が配られました。
コンクールに出る課題曲と自由曲

課題曲→オーバー・ザ・ギャラクシー
(だったとおもう)
自由曲→覚えてない(-_-;)

必死に練習してたような・・

その頃ピアノ教室を辞めました

6年習ったけど、部活が忙しくなり、それに加えてピアノの先生が出産されるとのことでしばらく休みますということになり、
辞めてしまいました。

ピアノを習ってたおかげで音符を拾うことは苦にならず(*^^*)

コンクールに向けて練習の日々。
まだ私たちの時は土曜日も授業があり、昼から部活、日曜日も朝から夕方まで部活

休みなく学校に通ってました。
先生の後輩や知り合いの方たちがとっかえひっかえ来ては指導してもらってました。

コンクールは銀賞で地区予選敗退。

先生の吹奏楽に対する姿勢がすごくて・・

次々と本番が舞い込んできてました。

たくさんの曲を吹かせていただきました。
体育会での演奏、警察の防犯キャンペーンのパレードやら文化祭などなど


楽器を吹くことは楽しかったし、友達や先輩たちとさわぐのもおもしろい。
でも人並みに反抗期がやってきた私は、
真面目に取り組めない時期もあり、
サボってみたり、親とも衝突したり。

葛藤というのがずっとつきまとってた1年生だったかも・・・

2年生になったわたしはどうなる?
中学生になった私どんちゃん。

今娘が通っている有馬中学へ入学。

家の中で遊ぶのも好きだったけど、外で走り回ってた小学生。

中学となったらテニス部に入りたいと思ってました。
マンガの影響です。エースをねらえが大好きで、壁打ちとかよくしてました。

夏は毎週土日に解放プールで泳ぎ、ほかの日は自転車やゴム跳びなどなど

いやー懐かしいです。
今の私はどこまで飛べるのかな・・・󾌱

入学する前に兄に『テニス部はきついぞ。おまえ、続けられへんと思うぞ。』

えーーーガクリ

小学高学年頃から太陽が苦手になってきたのも確かだったし、その顧問は兄の担任をしてました。
なので厳しいということもわかっていったのかもしれません。

入学して斜め前に座ってたMちゃんと仲良くなり、部活の話となりました

テニスを考えてただけに、諦めた私には迷っていたところ、Mちゃんが一言

【吹奏楽部に入らへん?】

その一言で入部した私(・・;)

私の新たな世界の第一歩

音楽は好きだったけど正直吹奏楽って?

そんなわたしがどうやって決まったのか忘れたけどアルトサックスの楽器を担当することになりました。

未知の世界のドアを開けた瞬間です

もしMちゃんが、卓球や美術しよーなんて言ってきてたら今の私はなかったのかもしれません。

そこで小学校から一緒だったNちゃんもサックスにいました。そしてYちゃんとも知り合い意気投合した私たちは、今現在もずっと付き合いのある幼馴染みとなりました。

サックスパートになって私を待っていたのは・・・・・



続きは次回のお楽しみ󾌰

たわいもない私と音楽

小学生になり、ピアノを習い始めた私!
5人家族で団地暮らしの我が家はピアノを置くこともできず、オルガンで練習する日々!

当然指の力がつくわけもなく、鍵盤の幅もちがう

そしてその頃、父の仕事が夜トラックに乗る勤務となり、学校から帰ってきて練習しようにも父が寝ている
_<)

そりゃうまくなるわけない(-_-;)

練習できないしぃ仕方ない(^_^;)なんて考えが芽生え始めたのが2年か3年生頃でした。

練習できるような環境になっても、
頭のどこかにあったかな(^_^;)
学年が上がるにつれてピアノで習っている曲よりも、歌謡曲に目覚めてきた私

兄が買っていた【明星】という月刊本についている付録に興味を覚えた。
楽譜付きの歌集本!

ピアノコードを覚え、自分で弾き語りをする楽しさ。
当時流行ってたピンクレディの振り付けを覚えて友達と踊ってみた

今でもテレビから曲が流れると、完コピではないがだいたい踊れるし、体が動く。


クラシックから離れていった頃かもしれない。

そして小学校卒業爆笑
私のピアノはソナチネという教則本まで進んだ

そして中学校へ入学

私の新たな音楽人生の吹奏楽と知り合うことになる(^o^)/
タイトルのようなたいしたエピソードがあるわけではないけど、もうすぐ50才になる(あと1年以上あるけど)のにふと振り返ってみようかな?

友達のミキティさんが振り返ってるのを読んで自分も・・・・


私には7才と5才離れた兄がいます。
その影響も受けたとおもう。
そして懐メロや演歌とか歌が好きな両親。

小さい頃なんやかんやと歌が聞こえてたような気がします。

だからなのか年齢のわりに古い歌を知ってるのかも

物心ついたときには家の中に楽器がありました。
兄たちのリコーダーやハーモニカ、鈴とか木琴もあった。

いつ買ってもらったのか幼稚園に入る前にはオルガンもギターもありました。

兄たちの音楽の教科書を借りて、真似事のようにオルガンを触ってた幼稚園ごろ?

どうやって “ド”の位置を音符を覚えたのかわからないけど・・・(^-^;

クラシックを聞くような家ではなかったけど、音というのが日常にあった気がします。

それが原点なのかな?(^_^;)

幼稚園のときピアノを習いたいと言ったことがあるらしい。

(ほんと肝心なことは記憶が・・・)

その頃住んでいた所は田舎でバスが1時間に1本ぐらいのところで(--;)
どこにピアノ教室があったのかもわからず断念

相も変わらず好き勝手に弾いてる私

そして幼稚園卒園と同時に引っ越し

今住んでいる有野台へ。

真っ先に見つけたのがピアノ教室

徒歩3分のところにありました。
自分で見つけて、自分で通える場所

母もOKを出してくれ、私のピアノ生活幕開けとなります。

ブログを書く。

FBやラインばかりやってて、なかなかブログを書いていなかった。

 

この4カ月の間・・・仕事がとても忙しくなり

残業続きの日々が・・・

年明けてからこの日まで早かった~~

 

いつの間にかちいにぃとゆうゆは高校3年と中学3年なり、それぞれ新しい生活を

満喫中。

そんな中、高校のPTAにあたってしまった私。

 

入学をしたとき、3年間分の役員決めのくじ引きがあった。

そして私が引いたのは28年度の補欠委員

 

そう!今年・・・でも補欠だし・・・と安心してたけど、

役員に選出されました~~とお手紙が。

 

まぁ・・・選ばれたのでやれることはやりますが・・・・

 

そしてそして・・・

 

来週にはゆうゆが沖縄へ修学旅行。

いいなぁ・・・沖縄~~~

一度は行ってみたいなぁ・・・