3年間吹奏楽をやってきて、(実質2年半)たくさんの曲を吹いてきました。

♪錨をあげて    ♪スマイル・フォー・ミー
♪想い出のサンフランシスコ
♪サンダークレスト  ♪そりすべり
♪フィンランディアなどなど

ほんとは思いだせなーい(>_<)

ただ市吹で何を吹いたのか・・・
2年の時に出た市吹は4校合同でポートピア博の会場で(いつのことやねん)吹きました。
それはフィンランディアという曲。
確か昭和天皇陛下が来られると言うことで規制とか大変だったような気がします。

あとは(^^;
記憶が・・・・ないガクリ
多分、誰かに「これも吹いたよね?」とかいうてくれると、
『あーーニコニコ』と思い出すかもしれない

そして私の宝物が2つあります。

それは中2と中3の時の文化祭で、放送部の友達に録音をしてもらったカセットテープ

(カセットって󾌱)

あと1つは、県大会に出たときのレコード盤。

今となっては両方とも聞くことができません(T-T)

プレーヤーがないです。
ところがカセットテープはCDに焼き直すことができまして、聞けるようになりました。\(^-^)/

はっきりいって録音状況がよくないしピッチが・・・演奏が・・・
いろいろありますが、私が吹いていたという証拠です。

レコードもCD化できないかなぁ?

もう一度聞いてみたいです








中学3年になったわたし。

乱心をひきずったまま

5月ごろまでウダウダ

でもコンクールを目指すようになると、集中し始めた私です。

課題曲→吹奏楽のためのカプリチオ
(おぼえてない )
自由曲→序奏とファンタジア

課題曲にかんしてはほんと覚えてなくて難曲だったような。

ただ自由曲!
忘れられません!

早い指回しやら大変でした

ようやく慣れてきた頃、突然ソロが回ってきました。
ソロを吹いてたNはソプラノSAXとのもちかえとなり、本番1ヶ月前にソロ!

それも・・・・
シャープが6こに楽譜上ダブルシャープもついてる始末
_<)

たった7小節か8小節ぐらいのソロ

やっぱり見せ場だったと思うし、3年間の部活生活で一番練習したかもしれない

神戸文化ホール  大ホール
演奏自体どうだったか覚えてない
ただリードミスはしなかったかと。

そして発表~
金賞  県出場

歓喜が湧き泣きました\(^^)/

県では銀賞でした。関西大会へいくことはできませんでした

リードミスをした記憶があり、悔しかったのを覚えています。それからは最後の大舞台の文化祭にむけて練習・練習

ロッキーのテーマ(時代がわかります)にはじまり、マクベスのマスクも演奏しました。
そしてカーペンターズのトップオブザワールドで私の吹奏楽はおしまいです。

高校では吹奏楽ができなかったからです。
嫌いでやめるわけではなかったけど、あの頃の私は吹き終えたという気持ちでいっぱいでした。

親友と目があった瞬間、涙が溢れてきたのを覚えています。
この先SAXを吹くことはないだろうという寂しい気持ち、この仲間で吹くことがない気持ち・・・ポッカリと穴があいた日でした。

サボってた時間に悔いを残し、完全燃焼した吹奏楽時代でした。



人並みに反抗期がきた私

もともと人見知りもあり、クラス替えになるとドキドキ&緊張

今もずっと付き合ってるYちゃんと一緒のクラスになりました。

さてさて音楽の方はというと・・

ピアノをやめ、吹奏楽まっしぐら~󾭝

とはいかず、新たな楽器に目覚めた私。
当時流行したテクノポップス、そしてシンセサイザー

もちろん買うことはできなかったけど、欲しかったーー

部活も続けてます、もちろん󾮔
2年になり後輩がやってきました。
SAXも2人

その1人は小学校から交流のあったN子

そろばん教室が一緒でした。
ただ、もう一人は数ヵ月(もいたかな?)で辞めていきました󾫵

先輩5人から手厚く指導してもらえるN子は幸せ・・・と思っていたか定かではない。

夏のコンクールにむけてまた練習の毎日。
確か課題曲→青空の下で
自由曲  →インペラトリクス

(自信はない󾌱)

難しい所が何ヵ所かあり、でも吹きごたえのあったような。
結果、銀賞

今年は金賞をとって先輩たちと県へ~

あと1歩のところで夢破れました。
気持ちを入れ換えてです文化祭の練習

顧問はポップス系の曲が嫌いで、難しい曲を次々と・・・

高度な技術への指標という曲。

今でも覚えてます。早い指回し、転調、臨時記号の多さ、などなど

今思えばよく吹いたよな!と自分を誉めたいですね

いろいろつるんだ先輩が引退
憧れてた先輩が音楽室にいない󾌣

体調を崩した私は、部活も休みがちになりました

私たちが部活を引っ張っていくという認識になるまで時間がかかりました

親友Yちゃんとも喧嘩をする始末

ネガティブな性格に拍車がかかり、心乱れてた頃、もったない時間をすごしてしまいました。
吹奏楽部に入部したどんちゃんこと私。
アルトサックスになり、放課後は音楽室へ。

先輩は1つ上のKさんのみ。
そのKさんが1年の4人を面倒見てくれる。
とにかく楽器になれること、音を鳴らすことが必須であり、廊下に並んで、マウスピースと手鏡をもってピープーとならす。

手鏡?
アンブシュアを徹底的に教えられ、覚えされられた。その為に鏡を見ながら広角をあげる、頬を膨らませないなどのチェックをするため。

おかげで、30年ぶりに吹いても、そのアンブシュアは覚えていて音もなった。

私たちが入学し吹奏楽部に入部したしたと同時に顧問が代わり、N先生の指導を受けることになる。

その先生が恩師となり、私の人生にもいろいろ関わってくることになる。
それはまたいつの日か・・・・・

音がなるようになり、音階が吹けるようになったきた頃、2つの楽譜が配られました。
コンクールに出る課題曲と自由曲

課題曲→オーバー・ザ・ギャラクシー
(だったとおもう)
自由曲→覚えてない(-_-;)

必死に練習してたような・・

その頃ピアノ教室を辞めました

6年習ったけど、部活が忙しくなり、それに加えてピアノの先生が出産されるとのことでしばらく休みますということになり、
辞めてしまいました。

ピアノを習ってたおかげで音符を拾うことは苦にならず(*^^*)

コンクールに向けて練習の日々。
まだ私たちの時は土曜日も授業があり、昼から部活、日曜日も朝から夕方まで部活

休みなく学校に通ってました。
先生の後輩や知り合いの方たちがとっかえひっかえ来ては指導してもらってました。

コンクールは銀賞で地区予選敗退。

先生の吹奏楽に対する姿勢がすごくて・・

次々と本番が舞い込んできてました。

たくさんの曲を吹かせていただきました。
体育会での演奏、警察の防犯キャンペーンのパレードやら文化祭などなど


楽器を吹くことは楽しかったし、友達や先輩たちとさわぐのもおもしろい。
でも人並みに反抗期がやってきた私は、
真面目に取り組めない時期もあり、
サボってみたり、親とも衝突したり。

葛藤というのがずっとつきまとってた1年生だったかも・・・

2年生になったわたしはどうなる?
中学生になった私どんちゃん。

今娘が通っている有馬中学へ入学。

家の中で遊ぶのも好きだったけど、外で走り回ってた小学生。

中学となったらテニス部に入りたいと思ってました。
マンガの影響です。エースをねらえが大好きで、壁打ちとかよくしてました。

夏は毎週土日に解放プールで泳ぎ、ほかの日は自転車やゴム跳びなどなど

いやー懐かしいです。
今の私はどこまで飛べるのかな・・・󾌱

入学する前に兄に『テニス部はきついぞ。おまえ、続けられへんと思うぞ。』

えーーーガクリ

小学高学年頃から太陽が苦手になってきたのも確かだったし、その顧問は兄の担任をしてました。
なので厳しいということもわかっていったのかもしれません。

入学して斜め前に座ってたMちゃんと仲良くなり、部活の話となりました

テニスを考えてただけに、諦めた私には迷っていたところ、Mちゃんが一言

【吹奏楽部に入らへん?】

その一言で入部した私(・・;)

私の新たな世界の第一歩

音楽は好きだったけど正直吹奏楽って?

そんなわたしがどうやって決まったのか忘れたけどアルトサックスの楽器を担当することになりました。

未知の世界のドアを開けた瞬間です

もしMちゃんが、卓球や美術しよーなんて言ってきてたら今の私はなかったのかもしれません。

そこで小学校から一緒だったNちゃんもサックスにいました。そしてYちゃんとも知り合い意気投合した私たちは、今現在もずっと付き合いのある幼馴染みとなりました。

サックスパートになって私を待っていたのは・・・・・



続きは次回のお楽しみ󾌰