風丸の駄文 -139ページ目

風丸の駄文

いろいろと駄文を重ねてます。
共感、反論あるかと思いますが、ご容赦ください。

ー無自覚に、ついやっちゃってることー


いろめがね。

って言葉は古いのかな?


フィルターにかける。

って言えば分かりやすいか……



ボクも含めて、とかくやっちまいがちなのが、これなんじゃないかな?と。

「あそこの店は、あまりいい噂を聞かないから、行かないほうがいいよ」

と周囲から言われれば、

「そうかな?」

と思いつつも、自分の中のフォルダの中でちょっと脇のほうへよけてしまう。


実際に自分と会ったこともあり、話したこともあり、特段相性が悪いとは感じない知人が、

別の場所で、あまり良くない性格だと噂されているのを耳にすると、

「まさか」

と思いつつも、また自分の中のフォルダの脇のほうへよけてしまう。

身近な例ならこんな感じ。

もっと大きな例えで言うと、

◯産党は赤だから、良くない政党だ!

とか、

新興宗教は問答無用でカルトだから悪だ!

とか、

北◯鮮はとんでもない国だ!

とか。


ボク自身の経験として、

概ねこのようないろめがねは、

もっともらしい見解を前提に広まってしまったや、

自分以外の人が体験した体験談であることがほとんどで、

実際、自分が同じようなシチュエーションに遭遇しても、

全然違う結果や、見解に至ることが多い。

差別や偏見はダメだと思いつつも、

人間の防衛本能なのか、

知らぬ間に自己フィルターにかけてしまって、正しい判断ができてなかったりする。


「ホントかな?」って、自分が疑問に思ったら、

自分で試してみる。

自分で体感してみる。

って行為も、時として必要なのではないか?

って、最近常々思います。


「経験則」って言うのか、

歳をとると、どうしても自分の考えが正しいとか、曲げたくないとか思いがちで、


なかなか柔軟に判断できなかったり、しようとしなかったりする。


そんな偏ったモノゴトの見方、フィルターのかけ方では、

やっぱ正しい判断はできないし、

判断力は養われないだろう。

と思います。


経験則も必要だし、フィルターも必要だと思うけど、

結局自分の人生に於いて、最終決断を下すのは自分なんだから、

偏りのない判断力を養わなければダメだと思う。