若い頃にはいろいろ、
ホント、あれもやりたい、これもやりたい
やりたい事だらけでした。
手当たり次第にやってみる。
できる所からやってみる。
全くの無計画で、加えてビジョンなどないから、
その時に満足ならそれでいい。
だから長くは続かなかった。
今はそう思ってる。
でも、そんなムダにも思えるような事を繰り返してきたおかげで、
現在に至るまでに随分とやりたい事は厳選された。
しかも厳選されただけでなく、今日までしぶとく残っているやりたい事は、
少しずつ形を変えながらも、ビジョンは明確になりつつあった。
トーナメント戦に勝ち残ったチームのようなもの。
言い換えれば、諦めきれなかった事かも知れない。
前回述べた、養鶏や観葉植物の栽培なんかは、若い頃には考えもしなかった事なんだけど、思いを突き詰めた結果として出た結論のようなものだと思ってる。
どういうことかと言うと、
店を持ちたいとか、会社を経営したい、
はたまた職人になりたい、自由にのんびり暮らしたい、などと
若い頃には夢や希望に一貫性がなかった。
単に、他人の目に映る自分の姿とか、他人から称賛を受ける社長になった自分とか、
自分が本当にやりたい事ではなくて、
他人がボクを見た時の評価を意識した、
単にハリボテのような、
やりたい事だったから。
そりゃ長続きもしなけりゃ、見た目ばっかり気になって、中身なんか成長しない。
改めて自分は何がやりたいか?を、
自分はどんな生き方がしたいか?に、
少し考え方を変えてみることにした。
結構時間がかかったと思う。
1日、2日じゃなく、
1ヶ月、2カ月でもなく、
数年はかかった。
自問自答しながら、一番根本的なこと、
自分はどうありたいか?
を考え続けた。
養った経験、培った人間関係、
それは大切な財産だから、失いたくない。
それを活かしたい、
そんなふうに考えていたものをある日、
逆に一旦全て精算してしまおうか、
って考えになった時から、
考え方や行動が変わり始めた。
人間関係のしがらみの精算は、
今の環境から、全く知らない所へ移る。
経験の精算は、
人生のひと区切りとして、
他人の手を極力借りず、自分だけでどこまでやれるかを試すことで、過去の集大成がどんなものかが測れるんじゃないか。
そんな考えに至った。
過疎地に移住しよう。
それが、移住を決意する足がかりになった。
それからは、時間があれば地方の島や過疎地を探しては頭で構想を描く日が続くことになる。
……しばらく、こんな回想録が続きます。
