自分を見つめる | 風丸の駄文

風丸の駄文

いろいろと駄文を重ねてます。
共感、反論あるかと思いますが、ご容赦ください。



現在の社会構造について、

色々と思うところはあるが、

叫ぶばかりでも大きな変化は望めないし、

憤慨ばかりしていても血圧が上がるだけ、

翻って、思い通りに生き過ぎては、

人生の醍醐味に欠ける。

そんな思いから、自分目線の人生論的なブログを記してみようと思った。


齢52歳。

過去を振り返ってみることが未来に向けての軌道修正にでもなれば、と時折自分の半生を振り返ってみることがある。

10代、20代、30代、40代……と、

確かに自分本人、ボクの過去に間違いはないのだけれど、

その時その時で、自分なりの決断を下しながら人生を歩んできた、それぞれの年代を、

今思い返せば"不思議"であったり、

「ああしとけば良かったのに…」と、

不本意であったこと、

逆に深く考えずに行動したのに後に好転したこと、

様々なシーンが思い返される。

過去ばかり振り返っていても未来に進むことはできないと、世間ではよく言われるけれど、

そういった過去の経験や決断が今の自分に反映していることは間違いない事実だと思う。

社会的に見て、自分の半生が成功、いわゆる"勝ち組"に属する人生だったかと問えば、
そうではない。

"勝ち組"を目指したけれども、そうなれなかった自分が今ここにいるのだから、結果的に生き方が間違っていたのかも知れない。

かといって自分の半生の毎日がつまらなかったワケでもない。

紆余曲折、山あり谷ありでイヤなこともあれば、楽しいこともあり、現在に至り、

社会的に成功したとは言えなくとも、

今、ここに生きて、ここにいる。

それってなんとか生きるために繋いできた人生、自分に合わない社会構造にあっても、とにかく生きるために選択した過程を経て今に至るということだと解釈する。



資本主義社会の崩壊が近いと囁く専門家も多くいる昨今、資本主義の弊害や汚点もあるが、悪い要素ばかりでもなく、

逆に"絶対"でもない社会だが、

それなりにそんな資本主義社会の中を自分なりに生きてきた。


ボクがあと何年生きられるのかは神のみぞ知るところだが、

ボクは50歳を人生の折り返し地点と考えたので、仮に100歳まで生きることができるとして、

これから先、どのような人生を送るか、送りたいかを考えた時に、

"自分らしさ"と向き合いながら、

自分の描く自分らしさを具現化できる人生を、と思った。

集団やコミュニティの中ではそれなりに、

個人、プライベートでは利己的に、

その時々で納得できる生き方が大切だと。

ぼんやりとした大きな夢も、

すぐに実行できる小さな夢も、

自分以外の人と蟠りやしがらみなく交流することも、

自分の心の声というか、直感と過去から培った経験値に従って生きることが、

自分の人生だと思ったから、

言葉での表現が難しいが、

ジャスティに生きたい。

と、そう感じた。

自分で、自分の過去や生き方に後からケチが付けられない生き方を目指したい。

そう思って新たなブログカテゴリを設けました。