少し前の話になる。

 

孫のところに行った。

孫は保育園に行っているからか、絶えず熱を出している。

わたし達が行った時も微熱があり

娘は仕事が休めなかったので病院に連れて行った。

 

知らない町の病院はそれだけもいやなのに微熱があったため院内には入れず

感染症を調べる外にある簡易の建物に通される。

 

写真だと明るいがここはプレハブの部屋で中に入ると

そこから鍵がかかっていて院内には行けない構造になっている。

 

もちろん狭いからわたしには不安要素たっぷり。

外で待ってます・・は断られたので、ちょっとだけ外に通じるドアを開けてください・・・とお願いする。(もちろんダメな理由を説明した)

 

↓写真だと明るい

image

 

数時間がかりの混んだ病院に乳幼児を連れて行くのは結構大変だったが

風邪から来る軽い中耳炎を起こしていたので病院に連れて行けてよかった。

 

とそんなことがあった数日後。

実家の鳥八から電話が来る。

 

鳥八。たった一回しか会ったことのない【子の子の子】を気にしてくれるのはいいが

電話の度にどうしてるこうしてる・・・とあれこれ聞いてくる。(うざい)

 

猿七も鳥八もよく聞いてはくるが・・・実際のところ本当は興味はないと思う。

なぜならば写真を見せろ、とうるさいが、見せると・ろくろく見ない。

(一枚でも見れば満足?するのと実際は目がよく見えないのだろう)

 

で、鳥八が、「孫のところに行ってどうだったの?」と聞くもので

「熱を出して病院に行って大変だったのよ・・・」と話した。

 

鳥八のお返事は。。。。

 

世の中にはもっと大変な人がいっぱいいるから熱ぐらいでよかった。

それを有り難いと思わなくてはね。

 

 

┐(´д`)┌ヤレヤレこれだ。

昔から鳥八の言動にはなにか違和感があったのだが、こういうとこ。

 

 

最近油断しておった。鳥八には差しさわりなく答えておくべきだった。

孫に会って楽しかったよ~。みんな元気にしていたよ~~。

が正解((((oノ´3`)ノだったのだろう。

 

 

そしてそのあとに鳥八の{長くありがたい話}が続くのであった。

ようするにわたしの孫の話を出してはいるが{自分の話をしたい、聞いてほしい}なのね。

 

 

ちょうど3,11のあたりの電話だったので鳥八のハナシはそこに続く。

 

あの日は大変だったよ。地震があってすぐに同居の孫を迎えに行ったら

校庭に赤白帽子を被った子ども達がみんなでちょこんと座らされていてね。

じいちゃんが裏道を知っていたからどうにかこうにか渋滞を逃れて走れて。

その次に違う学校に通う別孫のところにも行ったね。

道路に津波が来はじめたところだったから大変だったよ。

 

それから家に帰ってすぐに風呂場にクリアケースを4つ並べて水を溜めたよ。

これはすぐに停電と断水が来る!ってじいちゃんは知っていたからね~。

風呂も満杯にして水は確保してね。

Yちゃんに炊飯器で2回ご飯を炊いてもらってふたりでおにぎりを20個作ったんだ。

直後に停電して案の定、冷蔵庫のものが溶けはじめてきてね。

 

今度は庭にブロックを並べてかまどを作って

その溶け始めた肉を焼いて孫たちとそこでバーベキューをしたんだ。

子どもたちはそれを喜んで、怖がらなかったのが良かったね~~。

 

 

思い出の中にちょくちょく自慢が入るから(∩´∀`)∩

うざいと思う鳥八のハナシだが

 

鳥八は今、病気を抱えていてこの話はもう来年は聞けないかもしれない・・と思ったら聞いてやるのも供養かな・・・と思いなおす。。。イヤ死んでないけど。。。

 

 

で。

鳥八は人に褒められるのが何よりも好きだから(∩´∀`)∩

 

爺ちゃん。。。すご~~~く頑張ったんだね~~。よくいろいろと思いついたね。

すごくナイスプレイだったね。グッジョブだったね~~。

 

と何度も褒めた。

 

心にないことを言ったのではなくて、たしかに震災の時の数々の思い付きはさすがだと思った。

 

鳥八のハナシはそれから津波の避難勧告が出てYちゃんと孫たちを連れ

(嫁のYちゃん、、、鳥八とふたりで大変だったなぁ。。。)

 

体育館に避難したが狭くて冷たくて寒くて

夜中に信号機の付いていない真っ暗な夜道を家まで毛布を取りに行った。

 

までが一連の流れ。。。

 

若干のうざさはあれど大いに参考になる話ではある。

心から褒め称えた。

 

 

そして

あ~~~~。。。あの頃、母はもういなかった・・・。

震災の前年に死んじゃったんだった。。。

(弟も単身赴任中でいなかったんだった。。。と思い出す)

 

明日はその母の17回忌であるから仙台に行ってくる。