猿七(義父)の実家へ行ったのは猿七と夫と義姉とその孫ちゃんの4人。
最初に訪問した山の中に94歳の伯母さんがひとり暮らしをしている家は
去年わたしが行ったときよりも更にゴミ屋敷化がパワーアップしていたようで(;^ω^)
初めて行った義姉の3歳の孫が
可愛く(ここがポイント)
「これはなぁに?」とゴミを指さし
「これはなぁに?」と虫の死骸を指し
「きったねっ!」とつま先立ちで歩き
そこにいる大人の言えない胸の内を代弁してくれたそうだ。
帰宅後・孫ちゃんの母である姪っ子とわたしを加え皆で焼肉を食べに行き
その夜は猿七は我が家に泊まって行った。
翌日・猿七が帰った後に。。
猿七・・・決してきたない年寄りではないので、わたしの中では
「じいちゃんの使ったシーツはたった一晩だから洗わないで、夫のシーツと交換して
夫が今朝まで使っていたのを洗おう」(*´▽`*)
と思っていたのだが(;^ω^)(実際・娘が来たときはそれ方式なのだ)
夫は猿七の寝たシーツやまくらカバーを即効で洗っていた。(;^ω^)
どうやら実の父でも自分の娘とは「きれいさ」が違うらしい(;^ω^)
何度も言うが猿七・・・決して不潔とかじゃあないのよ(*´з`)
ただやはり一緒に暮らしていなくてよかったな・・・とつくづく思う。
猿七がいる間・ふだん夫婦で暮らしているのと違う音がしていた。
寝る時にラジオを聴きながらイビキをかいて寝ていたし(‘ jjj ’)
テレビの音量が違う。
もちろん見る番組も違う。
「家長」として長年暮らしていた猿七は家の中で誰かに遠慮することのないままに生きてきた。
我が家では「ふたりとも家長」だし、なんならわたしの方が「より家長」であるからして
テレビの権利はわたしなのだが、猿七がいればそうはいかない。
「二画面て便利だなー。野球と演歌が同時に見れる」とウキウキの舅に対して
テレビっ子のわたしが「今日だけ今日だけ~~」と構えていられるのも同居していないから。
年寄りがそうなのか。猿七と鳥八だけがそうなのか。昭和一桁生まれがそうなのか。
ふたりの性格は全然違うのに話す内容は驚くほど似ている。
ハナシは親戚や近所のウワサ話から始まる。
あそこの息子は親と仲が悪い。あそこの嫁はどうたらこうたら。
それはあくまでも、そこんちのじっちゃんばっちゃん側からのハナシだったり
あとは聞く側の猿七・鳥八の憶測が混じったものであるので
真実かどうかは定かでないことが多いのだが
ハナシの頭に「おそらくは・・・」「オレが思うには・・・」とよく付くので
わたしはそれを
『猿七・鳥八の“おそらくこうなんじゃないか”劇場』と呼んでいる。(;^ω^)
鳥八からその類の電話がかかってくるとわたしはすんごくイヤな気持ちになる。
「いいからっ。人んちのことはいいのっ!」とつい言ってしまうのだが
今回、夫と猿七の会話を第三者の立場で聞いていてふと思った。
(猿七が親戚の家の嫁姑の関係を悪く言い、それを聞いている夫が「人の家のことをガタガタ言うな」と言っているときだ)
鳥八も猿七もどうやら本当に言いたいのは
「それに比べて我が家は息子も娘も(言われてはいないが・・嫁も)親孝行で自分は幸せだ」
ということらしい。
人と比べなくとも「自分は幸せだ。いつもありがとう」と言えばそれで済むものを。。。
わざわざ人のご家庭を引き合いに出して言わないと自分ちのシアワセを計れないというか
いや・それよりも“照れ”ゆえに
「幸せ」とか「ありがとう」の単語が出ないのかもしれない。(好意的な見方)
そしてちょっとだけ思ったのが。
猿七も鳥八も「愛する妻」に先立たれた身の上だ。。。
本来ならば「あそこの嫁姑は・・」とか「あそこの息子は・・」レベルの話は
今日は天気がいいなぁ・・・・とか今日の夜は天ぷら食いたいなぁ・・・
と同じ次元で夫婦で喋っていたはずなのだ。(我が家がそうなように)
そう思ったらなんだか悲しくなった。
相方が亡くなったらそういう話が急にできなくなるのはさみしいと思う。
たとえ下世話な話であっても。。。(下世話だからこそ・・・身内と)
「そんなことは言うな」とか「人んちのことはいいからっ!」とか言わずに
いっぱい言わせたらいいんじゃないか。
こちらのストレス対処法としては、右から左に受け流す。でよし。
夫と話し合った次第である。
猿七・鳥八が生きているうちに気づいてよかった(*´з`)
ってこれもわたしが勝手に思う「おそらく」なんだけどね、、、。
