はい、残りの2日はExmouthから1500kmの道のりをPerthへひたすらドライブ!

今日は800kmひたすら走ります!道中止まるのは途中超える南回帰線とランチと給油くらい。

 

車中は思い思いに音楽を聴いたり、トランプしたり、寝たり。。。

↑LunaとMomoは昨日寄ったターコイズベイの側の Milyering Visitor Centreで買った絵葉書で日本の親戚にお手紙を書いたのだった。

 

 

途中、ハイウェイは南回帰線 Tropic od Capricornを超える。

 

南緯23度27分の場所 が南回帰線(冬至線とも呼ばれる)。

冬至の日、太陽が一番高くのぼる時にこの線の真上(地面から90°)に太陽がくる。

ちなみに 北回帰線 Tropic of Cancerは夏至の時。”Tropic”はギリシャ語らしいのですが、熱帯を表す英語”tropics” “tropical”は赤道を中心としたこの二つの線間ということで呼ばれるようになったらしい。

 

あまりのんびり写真を撮っている時間はないので、ちゃっちゃと車に乗ってまたドライブ!

そして半分くらいドライブした場所、カーナルボン(Carnarvon)のガスコイン河(the Gascoyne River)という西オーストラリアで一番長い川沿いでランチ&給油休憩。

 

↑魚釣りで有名な場所らしくこんな大きなお魚のオブジェも。

 

↑幅広くなが~い河は865kmも続いているらしい。今日ドライブする距離より長いのか…

遠くに見えるのはプレイグランド。

 

 

ここには広いプレイグラウンドがあって、Lunaもみんなも車の中でこり固まった体を動かして遊んだ。でもあまり遊ぶ時間もない、30分くらい滞在したら、再びドライブへ!

早めに帰ってきたので、もちろん夕食までプール遊び。

道中泊まったバックパッカーにもプールがあったが、ここのプールはリゾートっぽくて一番たのしい。

 

↑奥に行くと結構深い。バーがあるので飲みながら泳げる。

 

↑プールから上がった後に、宿から歩いていける近くのスーパーIGAへ買い出しに。

明日用のスナックやフルーツ、飲み物やをゲット。

 

6日目の夕食はあDarrenが作るのではなく、みんなでレストランに行って自分で好きなものを頼むことになっている。そうだよね、Darren毎日毎晩、クッキングお疲れ様。

ということでみんなで歩いてYHA側にあるCadillacs Bar and Grillへ。

 

↑それぞれ頼みたいものを別々に頼んで先払い。

↑とにかくこれまでの6日間を一緒に過ごした仲間とみんなを引き連れて、たくさん運転して毎日ご飯を作ってくれたDarrenに乾杯!本当にお疲れ様~!

 

↑ピザとスペアリブを頼んだけれど、2人には多すぎて全部食べれなかったので、残りはボックスに入れてお持ち帰り。

 

↑帰り道にはこんな看板も。親子エミュも無事でいてね。

 

 

↑おちゃめなガイドDarren。彼がいるからわたし達の旅もさらに楽しく良い旅に。

明日からは2日間、ひたすらドライブしてPerthへ帰るのだ。

たくさん運転、お願いします!

お昼のサンドウィッチを食べたら午後はまた来た道を戻り北の半島の先端へ。

その先っぽには1969年まで60年以上働いていた灯台がある。

ここがツアー最北地点、今夜Exmouthに泊まったら明日から一気にPerthまでの帰途に着くのだ。

よくこんな最果てまで車で来たものだ。。。

 

↑こんな最果てにポツンと灯台が。どうやら昔船でたどり着いたオランダ人船長ウィレム·ブラミンフ(Willem de Vlamingh)の名前らしい。

 

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↑その灯台の手前には第二次世界大戦の時に建てられた通信施設が残っている。左の手前に見えるのは戦争時に使われた土嚢が今も積まれたまま残っていて歴史的な面も垣間見える。

 

↑見渡す限りのインド洋を眺められる絶景ポイントだ。

 

遠くには高い高い鉄の棒が何本も建っていて、「あれはなんの施設?」とDarrenに聞いたら米軍のレーダー施設(US Military H.A.A.R.P Facility)だそうだ。

↑Google Mapで上からみるとこんな感じにデカい6角形になっている。

 

Exmouthの歴史を大まかに分けるとヨーロピアンの入植期とThalanyjiのアボリジニー居住区、第二次世界大戦期のアメリカとオーストラリアの連合軍の潜水艦基地(1943年に日本軍の攻撃を受ける)、1950年代から油田探索期と連合軍の通信基地の労働者居住地、そしてアメリカ軍の撤退から観光と漁業の町へと今に至る。

美しい景色だが、戦争の痕跡は世界の至る所にある。