普通の生活
少なからず、普通って何?
みたいな問いかけに
皆、何度となく出会ってきていると思うが、
自分の中で普通って
オリジナルって事だし、
自然体という意味だと思っている。
だけど、
コミュニケーションの
口語で使う時は、
常識的なという意味で使ってる。
そのどちらの意味でも
普通な生活が
いま難しくなった。
今の社会構造の中では
ただ普通の生活をおくるだけでも
自然だったり、途上国だったり、都会ではないところだったり、誰か自分
の生活とは離れた場所で犠牲になるものや傷つくものがあるうえで
成り立つ暮らしのシステムだ。
薄々、そんな事は感じながらも情報として知るだけだから、なんとなく見
てみぬふりしていた問題。
家族や仲間や大切な
何か守るために、
何か傷つけたり、奪ったりする選択肢を選びたくない。
それは奪われる側も傷つく側も
自分が大事だと思うのと同様のラットレースなのだから。
こんな事を数年前、いや数カ月前だって話題にだしたなら、現実をみなさ
いと常識ある人から怒られてしまうような事だか、いま、こうして
自分の周りでも、当たり前のようにこの事をみんな真剣に向き合い動き始
めている。
このひと月であっという間に
常識が変わり始めている。
どこからか持ってこなくてはいけないエネルギーに依存した暮らし、
もともと無料の空気や水や海、食べ物、人が危険になりうる上での普通の
暮らしじゃなくて、
既にあるものを地域の特性あわせた普通の暮らし。
それは、人の体型やら個性にあったスタイルのような、
その土地、その土地にあった
自然体の暮らし。
太陽や自然のエネルギーのように、そこら中にある空気のように
必要な物は既に存在していて、
どういう社会システムを選ぶかという瞬間を生きている。
自分達の子供達が、後始末のような暮らしではなく、笑えるような暮らし
ができる山を登って行こう。