NZ | サンセットキャンドル

NZ

電車に乗った途端、
なんども電話が鳴る。

着信履歴の数人に
電車なんだとメールで返信。

NZで地震あったけど、安否確認して

と返信が戻ってきて マジで?と焦る。
友達が住んでいるので、
大丈夫だと言い聞かせながら心配。
すぐにいろいろ連絡。
共通の友達から大丈夫だと聞き一安心。

思い起こすと、記憶が鮮明によみがえる。
アジア、オーストラリア、ヨーロッパ、モロッコを
周り、2004年のカウントダウンを
大好きなタイの島で迎えようと、ラオスから
タイに入国、クリスマスをプーケットで
迎え、年末の込む前にタイの東側の島へ
移動しようと計画していた。クリスマスあけ、
そろそろプーケットから出発しようかと
思い始めた26日。
インドネシアのスマトラ沖の大地震で
プーケットに津波が押し寄せたあの大パニックに
居合わせた。

その日は、朝バイクに乗って波チェックし、
波がないのでのんびり朝食でも食べようと、
海沿いのレストランか
海岸から1キロくらい内陸の屋台かで
迷い、結局屋台で朝食をとった。
すると、
ビーチ方面からびちょびちょに濡れた人々が
たくさん逃げてくる。
あまりの形相と状況に食事している人みな、
半分よくわかないまま逃げる。
車が乗り捨てられ、バイクが猛スピードで
走り逃げまとう人で危険な雰囲気。
しばらく、丘の上で非難、
一目でヤバイなとわかる人々が
ぞくぞくと運ばれ、救急車化した乗り合いの
トゥクトゥクに乗せられている。
情報がまったく入ってこないので、
どうすればいいかわからない。
海の近くの泊まっているバンガローはどうだったのか気になる。
親や友達も心配しているんじゃないかと焦る。
この後はどうすればいいのか見えない。
5時間ほど避難して、宿へ戻ってみる。
宿泊者同士も、情報がないので
みなバンガローのドアを開けっ放しにして
いつでも逃げれる状態で部屋に待機している。
外はヘリコプターと救急車両のサイレンで物々しい雰囲気だ。
翌日、日本へ連絡をとろうとネットカフェにいこうと
ビーチ側の街へいくと、
街はほぼ壊滅状態で、津波の被害の大きさをそこでもう一度思い知る。
情報網がパンクして、翌日も情報がはいってこず、
1時間後にまた津波がくるとイギリスのホームページでみたとか
いますぐ逃げろとか、嘘なのか本当なのか
わからない色々な情報が交錯し、人々は皆混乱している。
その時、情報って良くも悪くも怖いと思った。
その後、あの朝食を食べにいこうとして、いかなかった
ビーチサイドの前面ガラス張りの
レストランは全壊してたのをみて、ほんと紙一重だったと知った。
こんな事、人ごとだと思っていたけど。
確かそんな気持ちだった。
そして、やりたい事や気になる事
そんな事があるんなら、後回しにしない方が絶対にいい。
そう思った。

ブログは短めにって思っているのに
書きだしたら
言葉があふれて長文になってしまった。