生そのものを、生そのままに肯定する在り方。


たとえば、禅宗でいえば「末後の句」という言葉があります。


これは、「末期の句」ではありません。


そして、これは、先生と生徒とでいえば先生の側が自覚する問題です。


世の概説書にいくつかのパターンが認められますけれども、どうもそのどれもに一理あるというのではなく、錯誤も認められるので要注意です。