ブログで3年前の父の看取り介護の事を何度か取り上げてきた。
軽快で気持ちのいい内容ではないので躊躇することもあるけれど、記録の一区切りとしたいので、今回は最期の話。
父が(おそらく癌の骨転移により)下半身不随になってから最期を迎えるまでの4ヶ月半。
足の自由が奪われていくことに最初は現実を受け入れられず、それ故に医師や看護師に悪態をつき病院との円滑な関係から遠のき、自室に取り入れられた大きなベッド上だけでの闘病生活が始まった。
日中は仕事に行く私と、軽度の認知症の母では手に負えないため、在宅看護の看護師さん、ヘルパーさん、デイサービスの介護員さんに支えてもらいながら介護が始まった。
当時の私は、仕事中は思考の切り替えが出来て、辛い現実から離れられることが本当に有難く、
そんな中で仕事中に入る看護師さん達からの電話は現実に引き戻された感覚もあり、電話口の私は事務的だっただろうと思う。
そんな簡単な電話のやり取りで始まった訪問介護の看護師さん。
父の癌の進行とともに連絡は頻繁になっていった。
私の仕事が終わって帰宅後の夜に再訪問して喀痰吸引の手ほどきを受けたり、夜中に父が痛みを訴えた時に電話で服薬の指示を受けたり、何かあったら24時間対応してくれる状況に本当に支えてもらうようになった。
そもそも、看護師さんは関係が悪化した病院の方だったため、初対面の時の父は申し訳ないほどの悪態だったけれど、段々と心を開き、冗談を言い合うようにもなっていた。
ある時、看護師さんから「お父さん、チャーミングな人ですね」って言われて、「最初に怒鳴られた時はどうなるかと思ったけど、フフッ」って笑顔を見せてくれた。
気のおける友人もなく、自分本位な父がチャーミング?ってビックリしたけれど、それを父に話すと私以上にビックリした様子で、ふと嬉しそうな表情を見せた。
看取りに向けて、明るい気持ちにはなれない状況だけど、何気ないやり取りで笑顔になれることは嬉しく、私自身、父の身の回りの世話をすることで今までにない父との関係性も築けた。
心強い支えの中、段々弱っていく父は、食事も殆ど取れなくなり、苦しい表情を見せるようになった。
声もか細くなる中、最期まで家に居たいと言っていた父が「入院したい」と言いだし、看護師さんの段取りで翌日には入院。
入院前に行われる検査の段階で医師からは「いつ亡くなってもおかしくない状況」と言われた。
検査の途中から目を開けることはなく、受け答えも鈍くなってきた父への問答での反応で「本当は家に居たかった」と知った。
詫びながら、母も連れてくるからと一旦帰って、次に会いに行った時には呼びかけに反応もなく、翌日にはそのまま力尽きてしまった。
病院の看護師さんの中には、そんな状態で入院してこなくてもといった空気もあり、ヘルパーさんたちも「皆がんばって看取り介護してきた中で、最後まで自宅で終えたかったね」と言葉も出た。
それでも、父の入院希望を知って即行動をとってくれた看護師さんには、「入院は認知症の母の為と判断した」と言われた。
いつ息絶えてもおかしくない状況だったため、平日の日中で母が一人の時に亡くなった場合の精神的負担、認知症の進行の恐れを考えてくれてのことだった。
実際、私にとっても父の入院で休息する時間が出来たことで、その後の多忙な出来事をこなす体力が養えた。
いろんな思いが交錯する中で父への介護生活は終わりを迎えた。
本当は家で終えたかったけれど、おそらく家族の負担を考えて入院を希望した父。
その父の意向をくんで、残される家族のために動いてくれた看護師さん。
ケアマネさんもヘルパーさんもそれぞれの立場から父をサポートしてくれて「ギリギリまで家で看れてよかった」と・・・最終的には皆が「よかった」「よかった」と言葉を交わした。
一番辛かった父に最期に心細く寂しい思いをさせたけど、みんなでベストを尽くした結果であることは明らかで、心優しい人達にサポートされて「皆が味方」の中で過ごした4ヶ月半は、父にとって「濃い時間」だったと思う。
常日頃反発的だった娘が、自分に必死に寄り添おうとする気持ちも知れてよかったのではないかと思う。
あくまでも都合のいい勝手な解釈。
でも、そう思うことで前に進む気持ちに切り替えられてきた。
ここでも想像力は自分を助けてくれる(都合いい想像だけど)。
考えても後悔してもなにも変わらないなら、「いいところ探し」で落とし込む。
そして、命に限りがあることをしっかりと噛み締め、自分もいつか迎える「終わり」まで、少しでも後悔しないように生きる、それを教えてもらった父の看取り。
それをずっと支えてくれた看護師さん、ケアマネさん、ヘルパーさん、介護士さん、皆さんへの感謝は言葉で言い尽くせない。
私たち家族のように「介護」に直面し、「死」に向き合う状況に途方に暮れる人を支えてくれる仕事は本当に「尊敬」でしかない。
ブログを再開した理由のひとつが、父の看取り、そして感謝の想いを記したかったこと。
父が最後に病院へ向かった時に咲いていた庭の金木犀が今年も咲いてくれたので、それで表紙を飾り
ちょっと自己満足。
次回からは、もう少し軽やかなテーマにしていこうと思う(多分)。