この言葉は、相手を批判的に見ているようで、個人的にはいい印象は持ってないのだけど、

家族に対しては幾度となくよぎる言葉で、良くも悪くも…身をもって教えてくれている存在でもある

 

今は亡き父は肝臓癌を患っていた

癌細胞を焼く手術が成功し、5年の経過観察の間は定期的に通院していたのに、満5年目前の診察に「もう大丈夫だろう」と高を括って行かず、次に行った時に転移が見つかった

担当医の転勤と重なり、手術をどうするかは新担当の医師と行うようにと言ってる間に時間が経過し、蓋を開けると新担当と折り合いが悪く…と言ってるうちにいつの間にか骨に転移していた

 

完治に向けての流れを勝手な判断で断ち切ってしまう、この出来事は私に素直さ、謙虚さを忘れないという教訓を根付かせてくれた出来事となった

 

そもそも肝臓は「怒り」に影響する臓器

そこにダメージを受けていたとなると、家族とも和気あいあいと語ることなく、友人は皆無、そしてヘビースモーカーだった父の人生はどんなものだったんだろうとふと考える

(もちろん母や私が常に居て、可愛い孫を溺愛していた父は幸せだったとも思うのだけど)

 

母は子どもの頃のケガが原因で左足が動きにくかったものの、持ち前の気強さから日常生活は自力でこなしていた

それでもくも膜下出血を発症したのを機に一時は車椅子生活

リハビリを経て自力で歩くまでに回復したものの、年齢と共に足の痛み、違和感を訴えるようになる

それと並行して認知症はどんどん進行し、薄々気づいていた「他力本願」「依存気質」「被害妄想」そして「負けん気の強さ」が顕著になる

 

それぞれの人間味といえばそう

ただ、娘として一番近くにいて、父母の病気を本人と共に向き合わざるを得なかった私としては

同じ道を辿らないようにすることで、二人に感謝する人生にしたいと心底思う

 

そして、そのキーワードは

「ストレスを溜めないこと」

これに尽きると思っている

 

人生、何が起きるか分からない

目の前で起こる出来事は変えられない

不本意なことは皆無!なんてまずあり得ない

 

だから、それをどう受け止めるか

起こる現象、感じる気持ちを否定せず、ありのまま受け止める

そして偏らず、そこにいる自分も含めて見渡すことに努める

 

それが出来たら…本当にいいな

そしたら、親のことを反面教師として感謝できるんだろうなぁ

 

と、前置き(?)が長くなったのだけど

前回、急に歩けなくなりショートステイにお世話になった母は、「足の痛みはないようだし、トイレも介助があれば出来ますよ」の状態で我が家に帰宅

整形外科の「絶対安静、車椅子生活推奨」のご意見に戦々恐々だったものの、デイサービスのリハビリ先生の「出来ることは自分でするべき、トイレも自力で出来るでしょう」というご意見に従い、恐る恐るの自宅での一週間が経過した

 

ただ、認知症は明らかに進行

あんなに帰りたがっていた我が家にいながら、「いつ帰れるん?」と聞いてくる

どうも生まれ育った実家に帰りたいようで、祖父母や叔父の名前を出すようになった

 

そして、まだ不安定な足取りなのに、2週間前は歩けなかったことも忘れ、動き回ろうとする

 

買い物で一人お留守番をお願いすると、快諾するものの「こんな知らない場所で一人でいるのは不安」と電話がかかってくる

 

さてと、我がストレス…どう対峙していこうかなぁ

 

でもその前に…まずは感謝は忘れてはならないこと

 

母が歩けなくなったまま自宅に帰ってこれなかったら、きっと私も侘しさが押し寄せていたであろうことを思うと

認知症はあっても自力で動ける母と、日常生活がまた繰り広げられていること

これは私の人生においてもきっと救われる出来事

 

いろんなことがありながら迎えた立春は感慨深く、また新たに頑張っていこうと思える節目にもなり…

 

ストレスを敵ではなく、自分の一部として

穏やかで暖かな春がもうすぐそこだと信じて

ちょっぴり肩の力、抜いて過ごしたい

 

さて、明日は再在宅2度目の週末です