私は私の思考の癖という呪縛
目の前にある人や物、出来事の
本質を上手く見抜けぬまま生きている。

先入観や固定概念に囚われない様にと
心がけるほど私は私から乖離して
行くような不安や恐怖を覚えます。

例えば夜空の月、私たちが見ている月、
みんな同じ方向から月を見ています。

今のネット社会にあるその他大勢の声、
これを世論と位置づける風潮を感じて
とても危惧というか不安を覚えます。

地球から見る月はいつも同じですが、
月の裏側や右方向、左方向からの月の姿、
それも紛れもない月であると言う事を
知る必要があるし、受け入れる胆力が
必要だと思います。

人間も月と同じで、情報も多くの場合
地球から見上げる月と同じ感じがします。

私も私自身を知り尽くしている訳でなく、
それは世界の多くの人にも
言えることだと思います。

本質とはデリケートなものですね。
本質について考えるには、思い込みや
先入観を捨てて謙虚に捉える事が
大事ではないかと思います。

正解は無いけど答えはある。
まるで国語の試験のような感じです。
数学のように公式はなく、
決まった答えもないです。
ですが中心核のようなものはあって、
それをまず捉えることが本質を
知ったり、理解する第一歩だと思います。

評判と噂と実際の自分自身の評価。
これらが符合してもそれは一般的解釈とか
一般論に近いと言うだけであって、
本質を撃ち抜いているとは言い切れません。

なので何度も何度も自分の中で検証する
という作業がとても大事になります。
それは自分も相手も守ることに繋がると
私は信じてやみません。

本質とは真理と似て永遠に近いテーマですね。
しかし真理よりも本質は日常に近く、
より汎用性、必要性を感じます。

とくに個人の日常や人生を左右する
情報には本質を理解する努力をしたいです。
新聞や週刊誌の見出しだけを情報とせず、
しっかり読み込み見抜くこと。
記事は書いている人の願望、エゴも
反映されている事に注意して読み解くこと。

・・・本質についてはまた書いてみたいです。