黎鑫任教授 阳岩 0006
欲登不二渡东海,
耐雪雨风胜利声。
蝶舞 美花开雅婉,
鑫欣互辅向珠峰。
祝贺黎鑫升任浙江大学教授
不二:富士山
雅婉:女儿姐妹雅馨与婉馨
鑫欣:夫妇黎鑫与林欣欣
珠峰:珠穆朗玛峰
作詩メモ:中国人留学生黎鑫(り しん)のこと。
中国人私費留学生黎鑫が来日したのは2004年始め頃であった。中国浙江大学流体動力伝動制御研究所(浙江省杭州市)で機械系本科を卒業、その後当時東京工業大学精密工学研究所の香川利春教授に日本留学の希望を伝え、同大学大学院精密工学専攻修士課程の入学試験を受けた。一般入試で受験しトップの成績で合格した。
筆者は2004年3月に東京都市大学を定年退職し、4月から東工大香川研究室に客員として机をもらっていた。当時中国語を本格的に勉強し始めた頃で、黎鑫に発音の指導をお願いして毎週習っていた。時には自宅に来てもらって学習した。自然に身の上のこと、これからの留学生活の事、将来の進路などについて話すようになり、我が家の家族の一員の様に接していた。浙江大学流体動力伝動制御研究所は、私にとり1985年以来の中国交流の原点であり、同研究所の先生方には掛け替えのない意義ある交流をしてもらった。そんなこともあり特別な親愛の情を持って黎鑫に接していた。私費留学のため来日当初はアルバイトをして自活していたが、当然経済的には苦しかったと思う。我が家に来た時は家族と一緒に夕食をして、ビールを飲みながらいろいろな話をした。ある時用意した調理パンが沢山残ったので、夜食にでも食べなさいと袋に入れて持たせてやった。その際黎鑫が”有難うございます、でも先生私は恥ずかしいです”と本当に恥ずかしそうな顔をして言った。その瞬間私は彼に対して”悪いことをした””と気が付いた。経済的に極度に苦しい時であったので、食べ物を他人から恵んでもらうのを自分では恥ずかしいと思ったのであろう。彼の自尊心を傷つけてしまったのではと戸惑った。”うちは女ばかりでとても食べ切れないし、黎鑫は若いのだから食べて下さい”と取り繕った。経済的に問題のない普通の時であったらそんな考えは起きなかっただろうが、こちらにも食費の足しになればという気持ちがあったのである。黎鑫が言う”恥ずかしい”という感覚は、現在の日本の社会では失われてしまっている。それを中国人留学生から聞かされたことはショックであった。そしてこの学生は将来きっと立派な教育者になるだろうと確信した。後日、黎鑫から聞いた話によると、当時財布の中に100円玉が1個という日もあったという。アルバイト先の飲食店の店長が彼の立場を理解して、仕事の上で何かと助けてくれたとのこと。後に研究生活が順調になってからも、その店長の頼み事は断るわけには行かないと時間を割いていた。中国人のDNAに存在する精神性を垣間見ることであった。
理知的で温和な女性林欣欣(りん しんしん)をお嫁さんとして中国から連れて来たのは、博士課程を修了するころであった。国家機関付属の幼稚園の教師で、省政府から優秀教師として表彰されたという。教師であるから正しい普通話を教育されていて、私と妻の中国語の先生はは欣欣に変わった。その点黎鑫の中国語は南方なまりの中国語であった。欣欣も我が家に慣れて来て、実家の家族のことなどで微妙な
話を聞くこともあった。頭の良い人であり一般の中国人女性の印象とはかけ離れた、日本ではもう見ることも少なくなった控えめな女性である。二人が助け合って、黎鑫は東工大精密工学研究所助手として一人前の研究者に育った。2012年生れたばかりの娘雅馨(やしん)ちゃんを抱えて浙江大学に帰って行った。帰国後次女婉馨(わんしん)ちゃんを得て華やかな家庭を作っている。
2020年黎鑫は浙江大学教授に昇任、教育者、研究者として正に大海に船出した。
鑫・欣・雅・婉を二十八文字に入れて、この16年間の辛苦、努力を称賛し、前途を祝して一首を贈る。