2025年

1月  父急逝

7月  乳がん確定

7月  母逝去

8月  術前病理:リンパ節転移なし、ステージ1or2

10月      手術 右胸全摘+腋窩リンパ節郭清

     術後病理結果:ルミナールA

    リンパ節転移あり、ステージ3Aショボーン

    主治医より化学療法の方針あり

2026年1月~   EC療法開始←今ココ

 

 

抗がん剤2クール目。 

 

量を減らしてもらったから、 

「今回はちょっと楽なんじゃないか酔っ払い

 

……という淡い期待を胸に挑んだ私。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果:5日間、ベッドと一体化。

 

 

起き上がる気力もなくて、

 

 

ほぼ家具チーン

 

 

 

 

前回同様、

肌はボロボロ、

水もお茶も甘いし、 

爪は黒くなって割れるし、

 

そして鏡を見るたびに、 

禿げた頭と、

なくなった胸のコンビネーションが 

 

毎回パンチ力強めで襲ってくるゲロー 

 

 

これ、ほんとに治療?

 

 

 

1%のがんを消すために、 

90%の正常な細胞が破壊されていくような感覚。 

 

どうしても

 

 

「これでいいの?

 

が消えないショボーン

 

 

 

1週間後、

 

ようやく復活して向かったのは 

台湾系の足つぼマッサージバイキンくん

 

ごりごりごりごりもやもや 

ごりごりまくりもやもやもやもやもやもや

 

「たまってますね〜ダッシュ」と言われたけど、 

 

 

そりゃそうだ、

5日間ベッドで干物真顔

 

になってたんだから。

 

 

 

 

 

そして追い打ちのように、 

買ったばかりのお気に入りの帽子を紛失ガックリ 

 

髪がなくなったわたしはそれは大事に

「これからはこの子が相棒だな音符

 

と思っていた矢先に泣

 

 

治療中の私にとって、これは事件叫び

いや、事故というより呪いドクロドクロドクロ

 

 

暗い家の中にひとりでいると、 

考えごとが暗い方へ暗い方へ転がっていくダウン

 

 

辛いし、いいことなんてなさそうで、 

 

この罰ゲームはいつまで続くんだろう

 

とふと天井を見上げてしまう。

 

 

 

    

2025年

1月 父急逝

7月 乳がん確定

7月 母逝去

8月 術前病理:リンパ節転移なし、ステージ1or2

10月      手術 右胸全摘+腋窩リンパ節郭清

     術後病理結果:ルミナールA

    リンパ節転移あり、ステージ3Aショボーン

    主治医より化学療法の方針あり

2026年1月~   EC療法開始←今ココ

 

 

抗がん剤EC療法2回目。 

 

受付機に診察券を入れたら、表示された番号が、

以前出たのと同じで

 

またビンゴ❣

 

 

 

いや、でもわたしはもう喜ばないドクロ

喜びませんぼけー

シンクロ祭りでは、一度痛い目にあってるから下矢印

 

 

 

 

 

診察室に入ったら、主治医が開口一番、

 

今日は(抗がん剤の)量を少し減らします

 

……え?

 

 

前回下矢印あんなに“減らさない”って言い切ってたの誰でしたっけダッシュ

 

 

 

 

 

 

急にどうした!?

 

でも減るならOK。異議なしグッ

 

 

 

 

 

 

初めての化学療法室に案内される。 
(初回は入院だった)

ずらーっと並ぶベッドとリクライニングシート。

 

こんなに受けてる人いるんだ、

 

と妙に胸がざわつく滝汗

 

 

ちょっとシュール真顔

 

看護師さんが丁寧に説明してくれて、

「点滴(抗がん剤)しながらご飯食べてもいいですよナイフとフォーク」と言われたけど、 

 

いやいやいや。 

片腕に抗がん剤、片手におにぎりおにぎりは無理ガーン

 

精神がバグる宇宙人くん

 

 

 

薬剤師さんも登場して、

「相談したいって聞いたので」と言うけど、

 

私そんな依頼した覚えゼロはてなマーク

 

 

でも赤くなった顔に皮膚科のステロイド塗ることや

相談に丁寧に答えてくれた。

今の薬のことも、 

他の選択肢まで教えてくれた。 

ありがたい照れ

 

 

いつもの看護師さんも来てくれて、 

「先生、あれだけダメって言ってたのに減量したんですよ。なんでですかね?」

 と私が言ったら、 

 

看護師さんが先生に 

「もう来なくなっちゃいますよ」 

と言ってくれたらしい。

 

 

 

あぁ、やっと辻褄が合ったベル

 

看護師さんが動いてくれて、 

主治医に働きかけて、

薬剤師さんも手配してくれたんだ。

 

 

もはや“通訳(看護師さん)なしでは成立しない主治医と私”の関係あせる

 

 

そして今日は、 

吐き気止めが効いたのか、

薬の減量が効いたのかわからないけど、

入院の時よりずっと楽で、 

普通にバスで帰れた。

 

看護師さんのおかげで、

今日のサバイバル記録は無事更新。

 

 

もうすぐ従姉の命日だ。

今日はなんとなく胸の奥がざわざわしていた。

 

亡くなった母の荷物を整理していると、古い封筒が落ちた。 

 

従姉から届いた手紙。 

母が原因不明の体調不良で、あちこちの病院を回っていた頃のものだ。

 

そこには、従姉――医者だった彼女からの、丁寧で優しいアドバイスが書かれていた。

その文字の向こうに、患者に向き合う彼女の姿がそのまま浮かんでくる。

 

 

彼女は婦人科のがん専門医で、海外でも学び、

多くの人を救ってきた。

 

昔、久しぶりに会う約束をしていた日があったけれど、

患者さんの容態が急変して、 駅まで来たのにそのまま病院へ戻ってしまい、会えなかった。 

 

手術の話、論文の苦労、 

学生に手こずる講義のこと。 

読んでいる本のタイトルが「死ぬとき言う言葉」だったこと。 

私生活まで医者であり続ける彼女の世界は、 

私には遠く、眩しかった。

 

その彼女が、自らの専門の婦人科のがんに倒れた。 

 

自分が救ってきた病に、

自分の命が奪われるなんて。 

そんな理不尽があるのだろうか。

 

神様って、ほんとに意地悪だ。

 

 

 

従姉が亡くなったとき、

私は、

「自分の寿命もそのくらいなんだろうな」と思った

体型が似ていたからかもしれない。 

 

だから私は、悔いのないように、行きたい国を旅して、趣味もそこそこ楽しんで、

 “やりたいことはやっておく” 

みたいな生き方をしてきた。

 

そして、

従姉が亡くなったのとほぼ同じ年齢になったとき、

私は「がんです」と告げられた。 

 

驚きや悲しみよりも、

「やっぱりね」

という妙な納得が先に来た。

親を失った直後で、心の置き場もなかった。

 

母も従姉も、薬が効かずに亡くなった。 

 

どれほど専門性があっても、届かないものがある。 

 

その記憶が、私の中で石のように沈んでいて、

主治医の言葉を素直に受け取れない。

 

前向きになれと言われても、どうしたらいいのかわからない。

気持ちは晴れず、霧の中を歩いている。

 

ただ、今日は久しぶりに、従姉に触れて、

あの人がどれほど真摯に人を救おうとしていたかを思い出した。 

それだけが、少しだけ胸に残った。

 

亡くなった時、私は仕事で遠くに住んでいて、お葬式にも行けなかった。 

私はずっと、ちゃんとお別れしていなかったのだと思う。

 

わたしは、あなたが好きでした。 

今さらながら、静かに感謝を込めて。