時空を超えてつながるオベリスク | sun!sun!!sun!!!

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なのに今日も夜更かししてしまっています・・・。

イスタンブールで絶対行きたかった場所、それはヒポドゥローム。


ブルーモスク(スルタンアメフット・ジャミイ)前の広場。
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古代競馬場跡ということだけど、ただの公園だとばかり思っていた。


お目当ては異国の地に立つオベリスク。
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紀元前1490年、はるか遠くエジプトでトトメス3世のために造られたこのオベリスクは、テーベのほとりにあるルクソールカルナック宮殿に天高くそびえ立っていたものの、最後の東西統一ローマ皇帝であるテオドシウス1世の戦勝記念として地中海を渡り、紀元後390年にここコンスタンティノポリスまでやってきた。


当時のコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)は、紀元後330年に東西ローマを再統一したコンスタンティウス1世がギリシア人の殖民都市だった東方交易の要、ビザンティオン(ビザンツ)に遷都した都市。


当初は“新しいローマ”という「ノア・ローマ」と名づけられたものの定着せず「コンスタンティノポリス」“コンスタンティウスのポリス(ポリスは古代ギリシアの都市国家の名称)”として広まる。


古い歴史があるローマが殖民都市だったビザンティオンをローマ帝国の首都とするわけだから、彫刻等の多くのものをローマの各都市から運んだといわれている。


そんな新しい都市だからよけいテオドシウス1世は歴史あるオベリスクを欲したんだろうか?

もちろん、それに見合うローマ帝国の力があってこそだけど・・・。


因みに「最後の東西統一ローマ皇帝」と書いたので(内乱等でローマ帝国がまた分裂したんだろうか?)と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、せっかく統一した東西ローマ帝国を自分の息子たちのために東と西にワザワザ分裂したというサン的にはちょっと恨みに思っている皇帝でもあります。

とはいえ、コンスタンティウス1世以来、また東西ローマが分裂していたことを考えるとココで兄弟仲良く分けたことで、その後の東ローマ帝国の繁栄へとつながったのでしょう。


オベリスクの台座。

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ムムム。切り取られている。

オベリスクを船で移送する際に切り取ったため。

もったいなさ過ぎる。


台座を拡大してみるとこんな感じ。
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描かれているのは、テオドシウス1世が競馬での勝者に“月桂冠”を与えるシーン。

両隣にいるのは後の東・西それぞれのローマ皇帝になる息子たち(とサンは解釈しています)。


いやね、テオドシウス1世にあたるのはよくないと思うんだけど、(だってそのときの時代の流れだから・・・)この方、紀元後393年、つまりこのオベリスクを持ち込みそして台座につけたわずか3年後に古代オリンピック廃止してるのよ?


“月桂冠”といえば、古代オリンピックの象徴じゃないですか?

エジプトから持ち込んだオベリスクに自分を描いた台座を据え、あたかも“テオドシウス1世のオベリスク”の体をなしているのに、さらにその台座に自分が廃止するオリンピックの象徴“月桂冠”を描かせるなんてチョットひどくない?


なんて憤怒しているものの、古代オリンピックの廃止には紀元後395年に世を去るテオドシウス1世(オベリスクを持ち込んでから5年後・・・しつこい?)が国教とした「キリスト教(三位一体派)」の司教の影響が強いといわれている。


先にも何度か出ているローマ皇帝コンスタンティヌス1世はローマ皇帝で初のキリスト教徒。

紀元後313年にミラノ勅令でキリスト教を公認した。

ローマ帝国でのキリスト教は暴君ネロ(*)によって迫害されたことを皮切りに何度か迫害の時期があることを除き、黙認されていた。ただ、公にすることはできず発覚した場合は改宗を迫られたそう。

そんな中、コンスタンティヌス1世がキリスト教徒になったのは、政策的なものだといわれている。

(*全く話の流れが違うんだけど、サンにとっての皇帝ネロはジャイアン。皇帝の力を持ってコンサートを開き-もちろん唄うのはネロ皇帝-、あまりにもの下手さに逃げ出す人続出なんだけど、なんと出入り口に人を立たして外に出ないようにしたとか・・・。皇帝ネロのエピソードを語ればこれまた一つブログがかけそうだけど全くこのコーナーに関係ないので自粛します)


それから80年後、ようやくローマ帝国で「キリスト教(三位一体派)」が国教になったわけだけど、古代ローマ宗教をはじめとし、当時ローマで絶大な人気があったミトラス教を徹底的に弾圧した。

こんな弾圧を受けていたものが、後のカトリックへの基礎とつながることになり、つくづく歴史は面白いと思うサン。



そうそう、なんでサンがイスタンブールでは絶対に“トトメス3世のオベリスク”を見たかったか(あえて“テオドシウス1世のオベリスク”とは言いませんわ)といえば、エジプトで「ここにあったオベリスクが今はトルコにある」と聞いたから。


ずーっと、“いつかトルコに行って、この地(ルクソールカルナック宮殿)にあったオベリスクをこの目で見ることで、ここにあったオベリスクを時空を超えてつなげて見せよう!!”と思い続けていたの。

(文章にしたらなんでこんな陳腐なんでしょう?)


そのコトについてもっと書きたいんだけど、思いもかけずテオドシウス1世の話が長くなり、力尽きましたのでそれはまた機会があれば・・・。
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そういえば今日はエイプリルフールですね。だからといって、エジプト話を書くことはウソではないですよ?・・・きっと。


それでは~♪皆さまも楽しい日曜をお過ごしくださいませ~。 サン