フォロから北に行くと有名な「悲劇詩人の家」がある。
この名前はもちろん当時からついていたものではない。
(サンはてっきり、詩人が悲劇の死を遂げたから・・・と単純に思っていたけど)
キレイな状態で発掘されたフレスコ画のなかに、当時の演劇で悲劇詩人を題材にしたものが残っていたから・・・ということらしい。
(ちなみにコレ↓が「悲劇詩人を題材にした演劇のフレスコ画かは不明)
全体的に撮ったもの。
悲劇詩人の家でなかったらなんなのか?という話だけど、“当時の富を持った中産階級の典型的な家屋”ということです。
この写真は、入り口とは逆側から撮ったものだけど、広間の向こうに人が多く群がっているのが見えるはず。
「悲劇詩人の家」最大の売り、“猛犬に注意”です。
玄関に“CAVE CANEM”と書かれている。
(ラテン語で直訳すれば、“犬に注意”だけど、“猛犬”のほうがしっくりくるのでこちらを使います)
もちろん、コレを見た瞬間、サン~!ライズ~!!ハリー~!!!と日本の犬たちに思いをはせたのは言うまでもない。
(今日も実家に帰ってイヌと遊べばよかったかなぁ~。でも寒かったんだもん・・・。
ちなみにサン実家のイヌの写真はこちらをどうぞ~
2011.12.18号 サンとライズとハリー http://ameblo.jp/sunraize/entry-11110799475.html
)
でもね、この家が真に有名なのは、この“CAVE CANEM”じゃない。
ねーね、みんなって「ポンペイ」って言葉どこで知った?
世界史の教科書じゃないよね?
小学生時代に読んだ本で「ポンペイ最後の日」という人もいるんじゃないかな?
その本を書いたエドワード・リットンがこの「悲劇詩人の家」を“緑青色の家”として「ポンペイ最後の日」に登場させている。後に映画化もされ「悲劇詩人の家」は一気に有名になる。
エドワード・リットン??だれそれ???状態の人もいるでしょう。
でもこの言葉は聞いたことあるはず。
The pen is mightier than the sword「ペンは剣よりも強し」
エドワード・リットンは19世紀のイギリスの政治家。
インドのセポイの氾濫(・・・というより日本では、井伊直弼が桜田門の変で暗殺されたころ・・・といったほうが時代背景が分かるかな?)ぐらいに「植民地大臣」をしていた人。
政治家になる前は、ジャーナリストであり、小説家・戯曲家であった。
“The pen is mightier than the sword”だけを聞くとジャーナリストであったリットンが権力に刃向かって述べた言葉のように思うけど、実は「リシュリュー」という戯曲の中での台詞。
リシュリューは17世紀のフランスに実在した人物で、ルイ13世の宰相として王権強化をすすめ近代フランスの礎を築いた人。
ルーブル美術館(ルーブル宮)のすぐそばにある「パレ・ロワイヤル」。
この「パレ・ロワイヤル」は、もとはといえばリシュリュー卿の邸宅だった(ルーブル宮にはルイ13世が住んでいた)。
彼の死後、この邸宅は遺言によりフランス王家に贈られ、そこから「パレ・ロワイヤル(王宮)」と呼ばれるようになる。
この言葉“The pen is mightier than the sword”は、戯曲の中で、老いたリシュリュー卿が謀反の動きを察知したもののどうすることもできず、「自分が若ければ首謀者を切って捨てることができるのに」と弱音を吐いたときに、従者がヨイショした言葉「リシュリュー卿は剣よりも強い武器をお持ちじゃないですか」に対しての返答。
「そうだな。偉大なる指導者の統治下では、“ペン方が剣よりも強い”のだ」
・・・。
ホント言葉って怖い。
それ単独で聞くといろんな背景を想像するけど、当のエドワード・リットンも後に「植民地大臣」となっているし(植民地解放に向けて尽力したワケでもない)歴史を調べてみると都合よく書き換えられていることも多い。
(ただ、リシュリュー卿は王権強化を強いたから“悪”というわけではなく、フランスを他国以上に強い国にしなければという信念を持っていた人。だから彼の名前がついたフランス戦艦も作られている)
とはいえ、エドワード・リットンがこのポンペイに来て、“CAVE CANEM”のモザイク画をみて「ポンペイ最後の日」を書いたのは事実。
19世紀のエドワード・リットンが見た風景と同じ風景を見る21世紀のサンでございました。
それでは、また次号お会いしましょう。Ciao!
(ご注意)まったくの思い込みで書いている部分もありますので、旅行の参考になさらずに~




