20日後の朝。
珠子さんの従兄弟の奥さんである、あっちゃんから
旦那の携帯にメールが届きました。
あっちゃん:珠子さんが朝の8時に息を引き取ったそうです。
私 「どうする?行く?(←この聞き方自体間違えだったかも)」
旦那「うーん…
」私 「今夜が通夜で、火葬は明日かな…?納骨は49日か100日か…
よぅ君連れてだと、いろいろ厳しいから行くなら一人で行っておいで

そういえば生活保護者の葬儀ってどうなるんだろう?」
旦那「喪主である叔父さんから連絡が来たら行く
」そして、義叔父からは連絡が入りませんでした。
検索して知ったのですが
生活保護者が無くなった場合…
最低限の事だけをするとのことです。
つまり、
葬儀のようなものはなく
お花も供えられません。
お坊さんを呼んでの
お経も無いそうです。
国からの支援は、ただ火葬するだけ。
通夜や火葬には参列できないものの
私は太ってしまったせいでスーツが着られなくなっていたので
現在の体型に合う安いスーツと息子に着せる黒系の服を通販で物色…
(地味な服装なら喪服じゃなくてもいいか?等 思考がグルグル…)
納骨の時は参列できればいいかなと言う考えでした。
当日夕方…
あっちゃんからメールが届きました。
あっちゃん:14時から火葬しました。
死に顔はとても綺麗でしたよ。
これで本当に最後なんだなと思いました。
火葬の後、お墓に納骨しました。
えええええ?!

いろいろと
早すぎやしませんか?
あれ?
1日勘違いしていた??
というか
49日待たずに
納骨しちゃったんだ!?

と、スーツを探していた時間は無駄になりました…
終焉、その間際と言うのは色々考えてしまいますね。
私の父の時も思ったのですが…
何十年も頑張って働いて生きてきて
年金も高額頂いていましたが
通院費などで殆ど出て行ってしまって…
生活そのものは本当に地味なものでした。
本当ならもう少しいい生活ができたはずなのに
子供が不甲斐ないために、と自分の不甲斐なさを嘆いたものです。
珠子さんも性格?人格?には問題はあったものの
自分の母のために弟のために息子のためにと頑張ってきたわけです。
その頑張りが
弟や息子を甘ったれにしたという可能性が大きいのですが…
どんなに一人で頑張っても
そこそこの貯金があっても
結局最後は生活保護です。
病院代は国に出してもらえましたが
お花もお経も無い最期を
遂げることになってしまうわけですから。
母に、姉に寄生していた義叔父だったら
自業自得だよねーと思いますが…
方向性が間違えていたとはいえ
頑張っていた人がこういう状態になるというのは
なにか切ないですね…
ふと若い頃、母親から言われたことを思い出しました。
家族と言うのは4輪の車みたいなもので
一つのタイヤが頑張って回っても車は動かない。
家族全員…4つのタイヤが動いて初めて走ることが出来るのだ。
聞かされた当時は何の事だかよく分かりませんでしたが
今はじめて、母が言わんとしていたことが
ぼんやりとですが分かりかけた気がします。
