こんにちは!

郷土信濃の国をはなれて、今テレビで話題の武将、真田幸村(信繁)公ゆかりの地、大阪、九度山をたずねてみました。


上田を朝8時30にら出て午後3時に大阪城到着です。

大阪城は真田の赤兜でにぎわっていのした。城の中にはエレベーター完備。8階が天守閣。


①大阪城




そこから大阪市内を南下するとすぐある三光神社境内は真田丸があったといわれる場所

(諸説あり)


②三光神社



次に信繁公戦死の地安居神社まで南下しました。


③安居神社   

  


          

この松にもたれて信繁公は最後をとげたといわれています。


④九度山 真田庵


    

真田庵は小さな場所でした。              父 昌幸公が無念の死をとげた。墓石あり。


⑤慈尊院


車で5分くらいのところにありました。

 

慈尊とは弥勒慈尊のこと。またもや弥勒発見!




さすが、高野山の入口。根本大塔に似てます。














 真田一族は、有名でありますが、わが郷土にはもう一人(一族)忘れてはならない郷土の猛将がおります。その名は「村上義清」。義清公は信濃国坂城町 葛尾城の城主で村上氏全盛期の当主です。 幼名は武王丸。先代の城主村上顕国の子として誕生し、家督を相続し当主となると佐久・小県地方などへ勢力拡大して行きましたた。同じ頃、甲斐の武田信玄は信濃侵攻を開始すると、両者はまず1548年に上田原で激突しました。この上田原の合戦で、義清は武田軍に大勝し、武田方の有力武将・板垣信方、甘利虎泰、初鹿野伝右衛門らを討ち取りました。 続いて1550年、再び武田信玄が小県に侵攻すると、7000人をもって義清の出城である砥石城へ攻撃をしかけました。兵力で劣る義清公方でありましたが武田軍を挟み撃ちにし砥石城から撤退させるとこれを追いかけ、武田二十四将のひとり横田高松をはじめ約1200もの兵を討ち取り大勝利しました。 2度までも武田信玄の大軍を撃破した、そんなもの凄く強い源氏の血をひく武将がいたのです。



↓坂城町 村上義清公墓所         ↓拡大
坂城町 村上義清公墓所


そこで葛尾城に登ってみました。




↑葛尾山の東屋から撮りました。  ↑山頂にあった祠

 これぞみごとな山城!       「熊野修験」と記される

                  またもや山伏か! 


こんな顔です。



勇猛果敢な感じですよね。