乳腺外科で受付を済ませ、待つ事に。


病院に行く時はいつも本を持っていく。


この日は
『3千円の使い方』





ドラマ化もされた原作

元々、作者の原田ひ香さんが好きだけど、
帯に惹かれて買った商品



内容も面白く、スラスラ読み進められる本

おすすめです。



待合室で、この本を読みながら15分くらい待ったかな?


名前が呼ばれて、診察室に入る。


担当医と半年ぶりに会った。


少し世間話して、採血の結果を確認。


特に数値に問題はなかった。

白血球の数も通常に戻った。

ただ一つ。



『肝機能の数値がやっぱり悪いね。

水分摂ってる?』



はい、摂っていません…。



言い訳をすると、この日は寝坊して、

起きてから現時点(11時近く)まで一滴も水分を摂っていない。


いや、今日だけでなく、

私は日頃から水分を余り摂らない。



仕事の日、500mlの水筒を持ち歩いてるけど、

夜19時半頃の帰宅までいつも飲みきらない


午前中、水分摂らないことなんてざらにある。


余りに摂らなすぎて

頭痛を起こすこともしょっちゅうある。


頭痛がする、と同僚や彼女に言うと、


『水分摂った?』


って毎回言われて、


あ、今日水筒、口つけてないや。


って気づく。


それくらい飲まない。


仕事中喉乾いたなって思うけど、

これ終わったら飲もう!と思って、

そのまま飲まずに忘れてしまう。



介護福祉士の彼女曰く、

『マロは施設の入居者と同じ。

高齢者も促さないと水分摂らない。』



高齢者の同じ感覚の30代…



担当医には正直に言った。

『寝坊して、まだ一口も飲んでません。』



『ダメだよー。ちゃんと飲もう!

2L飲むのは出来ないと思うから最低1Lは飲もう

これから暑くなるし!』



『わかりました。』



このやり取りは抗がん剤治療中もやったなー。



担当医曰く、

『抗がん剤は毒。

抗がん剤を身体に入れたあとは必ず水分を摂って!

身体中に巡った毒を水分を摂って、

おしっこで出して。

これをやらないと毒が溜まり、

副作用がどんどんキツくなるから。』



でも抗がん剤を打った1週間は

吐き気、だるさ、関節痛、寒気、

匂いによる気持ち悪さなどがあり、

まともに水分、食事が取れなかった。


そして1クール、2クールと回を重ねるごとに

副作用がキツくなってきた。


無理!!!


もう吐いてもいいや!

水分摂って毒を出し切ってやる!



食事は諦め、水分をとにかく飲んだ。


32歳で乳癌になったけど、

32年間で1番水分摂った時期かも。



3クール目で担当医の言うとおり

水分を摂って、おしっこをする回数を増やしたら

以前より副作用のキツさがなくなった。


身体が慣れたのか、本当に毒が出ていったのかは

わからない。


でも3クール目は体調が戻るのが早かった。


私の場合は1クール3週間で治療をしていた。


この3週間の中で1番楽しみだったのは

抗がん剤を打った2週間後の

ゴールデンタイムタイムと言われる、

次の抗がん剤治療が始まる前の1週間。


抗がん剤治療が始まる前に担当医に言われた

ゴールデンタイム


『抗がん剤治療には1クール最後の1週間が

ゴールデンタイム。

この1週間は体調が戻るから

好きな物を食べていい。

好きな物を好きなだけ食べて。

そして次の抗がん剤治療に備えて。』


本当にゴールデンタイム期間に入ると

体調が戻り、食欲が出てくる。


この期間は彼女が私の好物や食べたい物を

作ってくれたり、買ってきてくれる。


あとこの期間は、娘と出かけられた。

体力は落ちて、すぐ疲れてしまうけど、

数時間の買い物なら大丈夫だった。


でも白血球の数が減少していて、

且つ、コロナ禍のこともあり、

遠出は禁止されていて、近場の外出だったけど。


このゴールデンタイムがあったから、

抗がん剤治療を乗り切れたと思う。



抗がん剤治療を受ける前に

必ず採血があり、数値が悪ければ、

その日は抗がん剤治療を行えず、延期になる。


少しでも基準以下の数字だと、

たとえ抗がん剤治療をしたとしても

副作用がさらに重く出るからとのこと。


私も8クールの抗がん剤治療の内、2回延期になった。


理由は水分不足のため、

肝機能の数値が基準以下だったから。



抗がん剤治療を終えるまで、

仕事は休職なので、

少しでも早く職場復帰したかった。


やっぱりシングルマザーだから

働かないと収入もないし。


社会保険加入してたから傷病手当金はあったけど、

給料の約3分の2しか貰えなかったので

やっぱり経済的に不安はあった。


当時は彼女とルームシェアしてたから

お互い10万ずつ出し合って生活していた。


乳癌になって、休職することになり、


『休職中は生活費要らないよ。

治療に専念して。』

と彼女は言ってくれた。


でも私は嫌だった。

彼女の負担になるのが。


『大丈夫。ちゃんと10万は出す!』


意地になってたのもあると思う。


私、保険は県民共済しか入ってなかった。

でも幸いな事に癌家系のこともあり、

がん保険を特約でつけてたから

一時金がおりた。

特約つけた私を褒めたい。


傷病手当金と保険金と貯金で

なんとか約半年間やりくりした。


その間、生活費10万はきちんと渡した。


娘が小学生だったこともあり、

まだお金がかからない時期だったのも幸いだった。



『じゃあ次は超音波検査するね。

服脱いで横になって下さい。』




続く。