少しずつ引越しの片付けをしているけど


仕事をしながらだから疲れる


とりあえずリビング、キッチン、風呂場、トイレは


連休中にほぼ終わらせた。


子供部屋は娘に任せてる。


結構自ら進んで片付けてるのを見て


成長したなーと感じている。



別居後、すぐ私は掛け持ちする為、


バイト先を探した。


なぜスーパーのバイトを辞めて、転職しなかったのか。



それは今働いているスーパーで

正社員登用してもらおうと思ったからだ。



働いて3ヶ月ぐらいしか経ってなかったが、


周りの社員さんや、パートさん達に良くしてもらっていた。


社員さんの話を聞くと、


試験に受かれば、パートから正社員登用も出来るとのこと。



しかも社員は賞与5ヶ月ぐらい貰える。


ただ私が働いていたのは鮮魚部門だったので、


技術を習得しないと試験を受けられない。


せっかく鮮魚部門で働いてるんだから、


魚を卸したり、切身、盛り合わせ等を作れるようになったら、自分にとって得なんじゃないか?


そんな考えがあり、転職せず、


正社員登用されるまで掛け持ちしようと思った。


スーパーのバイトが午前勤務。


午後から夕方の間に家事をやり、

子供の保育園のお迎え、

又、お金のことを考えると

時給の良い夜の時間帯に働こうと思った。


幸いな事に、実家が近かったので、

夜は子供を預かってもらえた。


私の親もシングルマザー。


私が小学生の頃、離婚し、

母は姉と私を育ててくれた。


私が中2の頃、父は亡くなった。

悪性の腫瘍だったみたい。


シングルマザーの大変さを知ってる母は

離婚を反対したが、


一度決めたら曲げない私の性格を知っている。


『掛け持ちは1年間だけ!

それまでに今の職場一本で生活出来るようにする』


私は宣言した。


それを聞いて、最後は協力してくれた。



タウンワークで

自宅から車で10分内のところに

星野珈琲というチェーン店がオープンで

バイト募集していたので早速連絡。



翌日面接。



ホールとキッチンどちらがいい?


と聞かれたので、


迷わず、『キッチンで!』


料理が好きだったし、メニューを覚えて


家で子供に作ってあげたかった。


あとホールはスカートで、

キッチンはパンツだったので。


昔からあまりスカートは好きじゃなかった。


動きやすいのでパンツの方を良く穿いていた。



採用が決まり、面接から1週間後ぐらいから

掛け持ちが始まった。



いやー、掛け持ちは疲れる。



まだ、このとき25歳だったから出来たけど



今は無理かな。



スーパー 8時〜12時

星野珈琲 17時〜0時


この間に家事して、保育園迎え行って、

実家に子供預けて、


夜のバイトが終わって、子供を迎えに行って、

帰って、翌日の保育園の準備して、家事の残りして

朝6時前に起きて、

朝ごはん作って、子供起こして、

朝ごはん食べさせて、着替えさせて、

保育園の準備して、

登園させて、

スーパーのバイトして。


これを週5繰り返して。



朝が弱い私は、アラームを5分刻みで何度もかけた



それでも1度、スーパーの仕事に寝坊した。


仲良い社員の1人には離婚すること、

仕事掛け持ちすることを話していたので


寝坊したとき、すぐ電話して、ひたすら謝った。


その人が上司に話を通してくれていて

1時間遅く出勤させてもらい、事なきを得た。


本当に助かった。





そんな生活を1ヶ月過ぎたぐらいに


元旦那さんから連絡があった。


『離婚届と合鍵はポストに入れといた。

荷物は全部持って行ったから、

もし残ってたら処分していいよ。

養育費は月3万、子供が高校卒業するまで、

子供の口座に振り込む』




私が自分の収入で1ヶ月暮らせたから

離婚をしてくれたみたい。




それ以降は全然顔を合わせていない。

離婚してから。



毎月必ず養育費は振り込まれてる。

離婚してから。今日まで。



ありがとう。



元旦那さんは私に

暴力ふるわない、愛してくれていた。


それでも私は離婚した。


自分勝手かもしれないけど、

私は今日まで後悔してない。


子供も普通にパパのことを聞いてくるけど、

そのときは普通に答えてる。


隠す理由はないから。



母に宣言した通り、


私は1年間だけ掛け持ちした。


でも、その時点では正社員になっていない。


正社員登用されるまでに段階があった。



その道のりが果てしなく長かった。



25歳でスーパーのバイトを始め、


正社員になったのは29歳。


スーパーで働くまで、魚を卸したこともないし、


素手で魚を触らない私。



その4年間は試練の連続。



その試練の話はまた後日。



離婚を決意した理由の話は

これで終わり。



読んでくれてありがとうございました。