今日は、父の20回目の命日



亡くなったその日


大雨に打たれても咲いていた枝の先の桜の花がとても印象的でした桜



末期の肝臓がんですと言われたのがその年の1月


そして3月31日の今日、様々な痛みから解放されて父は旅立って行きました



それから遡ること6年前に 父は階段を踏み外して



身体障害者になりました


その直前まで元気だったのにです

脊椎損傷で毎日が痛みとの闘いになりました



『俺はいつ死んでもえいがやき』


障害者になる前の父の台詞です


いつもそんなことを言うので心が痛みました


父をそうさせまいと 父を守り父が望む子どもでいなければ!


私はいつからか、そう子どもごころに決めていた気がします




父は戦中派


終戦の日を北朝鮮で迎え、男だと殺されるかもしれないと

チョゴリを着て女装しながら命からがら帰ってきたわや


と冗談交じりに

話していたのを思い出します

その時父は18歳の若者でした

そこで何を見たのか、冗談で笑いを取りながら話す以外に

本当に話したかったことがあったのではないかなと


この頃よく思います




戦後のどさくさの中で、自分の母親がもともとは過労が原因で


亡くなってしまいます

大好きな母親を失った悲しみと戦争体験

その喪失感と絶望感で


『俺はいつ死んでもえい』という気持ちになったのではないかと思います

よくお酒を飲んでいたので


その気持ちを紛らわすためだったのかもしれません


ところがいつ死んでもかまんと言っていた父が身体障害者になってから


命を粗末にしたらいかんということを言い出しました



私が1才だった息子を二階で寝かせたまま買い物に行ってたときに


息子が起きだしました


階段から落ちたら大変だと


不自由な身体を引きずり息子を助けに行ってくれたこともありました



「階段から落ちたらどうするがな!!」


父は命がけで孫を守ってくれたのです


帰ってきた私はそう言ってその時父に怒られ


ありがとうって思いました

父が階段から落ちたことで私の人生は一変していきますし

それからの25年は本当にいろいろなことがありました


私にとってただの失われた時間にしないためにも


起こったことに意味があると感じるようになりました




父が階段から落ちたことはとても不幸なことです


でも父が命あることに感謝して人生を終わらせるためには


この方法しかなかったのかもしれません


一見とても不幸に見えることですが


不幸に見えるラッピングで結ばれた箱の中には


本当のギフトが入っているのですプレゼント

世話をしてくれる家族や心配してくれる友人に囲まれ

今生きている!自分一人では生きていない!


ただそれだけをありがたいと感じれること


そのために必要なことだったのではないかとさえ今は思います




『俺はいつ死んでもえいがよ』

父の最期にはその言葉は出てきませんでした


その言葉を消すために必要だった階段落ち!だったと


今はきっと天国で感謝していることと思います


桜の舞い散る中で

その父に会いに今日はお墓参りに行ってきます





               やべってボンバ~ドキドキ