続き

次に向かったのは、
「将門の首塚」でした。

今回ずーっと呼んでくださっていたり、
あちらこちらへ行くようにと支持してくれていたのは、
「平将門」様です。

これは、数ヶ月前に遡ります。

今年の三月初め頃から、
「平将門」さまが、参拝に来るようにと呼ばれているのを知っていました。

なので、そろそろ行かないとなぁと思っていました。
そんな時に、お気に入りのブローガーさんが、
「地球の地震の大難を小難に抑える祈り」
を行うと聞いて、
3月23日の祈りの日に合わせて私が選んだのは、
「神田明神」でした。

平将門さまが、呼んでくださっているし
調度良いと思ったのです。
しかも、この日はわたしの手違いで、
ヨガのレッスンを休みにしてしまい、
土曜日なのに空いていたという偶然。

みんなの一斉に祈るという予定の時刻10時に合わせようと、
^^;💦電車を乗り換えせっせと移動。

途中で、ツィッターで
「今回の地震が起これば、国難級レベルの地震になるかも?」
と回ってきて。∑(°口°๑)💦

ますます、緊張と、汗汗💦。

電車乗り間違えてないか?間に合うのか???

おののきながら、やっと
新御茶ノ水駅に到着。

せっせと急いでなんとか、間に合いました。

この日は3月終わりと言うのに小雨の降る寒い日で、厚手のコートを持ってきて正解。

きっかり、10時には本殿前で、(その前から到着してお祈りしていましたが、)
「地球が平和であります様に、みんなが幸せに暮らせまますように、地震が小さく抑えられますように。」🙏🙏🙏✨✨✨

と祈り続けました。

参拝者が続々といらっしゃっていたので、
少し横にズレて祈りを続けました。

よし、願いが届いたと感じた時に、
最後に本殿がよく見えるところに
自分のエネルギーをマーキングして、
いつでも、エネルギー参拝出来るようにしておきました。⛩✨️✨️✨️

さてこの日は、無事に終わり。
ホッとしたあと。

5月8日に高尾山の薬王院参拝。
⇒つぎは呼ばれたのは寒川神社。
⇒次は、鶴岡八幡宮。

そして、今回の
平将門の首塚と神田明神。

三月の時点で、最後にまた、神田明神に来ることになるとは、思って無かったというか
その時点でそのようになるとは知らなかったのです。

なので、それが決定したとき驚いてしまいました。


さて、源氏のご先祖さまと棟梁を連れて、平将門の首塚に向かいました。

大手町の地下鉄の通路が、ややこしくて、
迷いそうになったとき、「こっちで道合ってる?」と聞いたら、

平将門さまが、左側の頭を
ガーン、ガーン
「そうだ!合ってる!」Σ (ノД`) イタッ🌟⋆꙳と
蹴る?もんで、そっちで正解と分かりました。
今まで、感じたこと無いくらいの痛さだったわ。。
( ・᷄ὢ・᷅ )💦

そして、平将門さまの興奮具合がその後やってきて、全身鳥肌🐓🍗‪꙳

今回のことで、平将門さまは鼻息荒く、
自分の意志を貫きたいという思いがヒシヒシと伝わってきました。

将門の首塚に到着すると。

朝早くから、もう参拝者がいらっしゃっていました。
会社の出勤前に参拝に来られているようです。

1人の男性が、将門の首塚の前で、膝まづいて頭を地面に当てるようにして参拝されていました。
そこには、平将門さまとその方とのご縁ががっちりできているのが、見て取れました。
平将門さまも来てくれて嬉しいと言った感情が伝わってきたので、この方は度々訪れている方のようです。

その次の女性も膝まづいて、参拝。
熱心に平将門へお祈りされていました。

この方とのご縁も深いと見て取れました。

わたしも、流れで膝まづいて?の方が良いのかな?とも思いましたが、いつもどうりで、
立ってですが、心を込めて参拝いたしました。

この一連の流れに感謝して。
日本の国が平和でありますように。🙏🏼💖 ̖́-‬

それから、自分の用事まで時間があったので、やってくる参拝者を少し見ていました。

ここへいらしてくださる方は、礼儀正しく参拝し、帰り際には、敷地内に落ちている落ち葉などを拾って脇に持っていくなどされてる方がいます。

平将門さまはみんなに愛されている。(*ˊ˘ˋ*)💖 ̖́-‬

それを感じられて良かった思いながら、とりあえず、自分の用事を済ませに行きました。

さて、用事が終わったので神田明神へ。

無事に到着が出来て、ε-(´∀`;)ホッホッ!ですよ。

ここでも、再び、
「日本が平和でありますように、みんなが幸せに暮らせますように🙏✨️✨️✨️」
ものすごい勢いで祈りましたよ。

さて、今度は、わたしはルートを変えて自宅へ帰宅しました。
何故そうしたのか?
そうする方が良いと思ったからです。

今回、わたしの感覚では、
将門さまはわたしの自宅に三月からか?もっと前からか、いらっしゃっていました。

そここら、

自宅⇒
高尾山⇒寒川神社⇒鶴岡八幡宮⇒
平将門の首塚⇒神田明神
⇒自宅

というルートで、回ってきました。
そしてここで、重要だったのは、

この周り方は、皇居を1周してきた。
ということです。

いつも好きで参拝している神社ばかりですが、
このような順番で回るのは初めてです。

そして、弘法大師さまが途中で川崎大師には来なくて良いと言ったのは、この順番が狂ってしまうからだったのか?と思いました。
あ、途中、私の好きな川崎大師にいらっしゃる薬師如来さまも一緒に来てくれました。
途中、わたしは突然、薬師如来さまのブレスレットを付けて過ごしていました。
 
薬師如来さまのご真言。

オンコロコロ センダリ マトウギソワカ。


さて、ここで、私が伝えたいのは。

世間で誤解されている
わたしのご先祖さま平将門さま
についてです。

あそこにどうしていらっしゃっるのか?考えたことがありますか???
首を切られて、たまたまその無念で飛んで落ちたのが、関東だったとお思いか???

平将門さまは、とても熱い方だったようです。
日本のためにこれから力を発揮しよう!!!
としていた矢先に首を切られてしまったのです。

少し調べてみると、首を切ったのは身内のようです。
わたしのずーっと遡ったご先祖さまは、平将門のほうになります。

清盛は、白河法皇と白拍子の間にできた子供?で、
殺されかけていたところを、平忠盛に引き取られ育てられた子どもという説があります。
その後、平家の嫡男となります。

調べて見ると、最後は平将門さまは仲間うちでの意見の違いから、殺されたとの記述もあります。

調べてて、ちょっと、リンクするところがあり、、、鳥肌が立ちました。

将門さまは、右目を矢で打ち抜かれて、落馬したところを切られたという解説があり。。。
今回、私が塞ぎ込んでいる中で、顔面の右目の奥と右目が痛く、そして頭痛に悩んでいたのでした。

これが、繋がっているのか?は分かりません。


話を元に戻す。

誰よりも熱い思いがあったのにその半ばで殺されてしまった無念の思いがあって、飛んだ首は調度良いところに落ちたのです。

調度良いところ?

皇居のすぐ側です。

将門さまは日本の要、
皇居を守っている!!🇯🇵

平将門さまの首は要石と
同じ役割。

そこに鎮座して、しっかりと日本の国が安泰になるように、守っているのです。

だから、平将門さまの首塚をもし退けたら?どうなるのか???
わかりますよね?

意味があってそこにいらっしゃっる。

何考えないで、ビルを建てるから、何かを作るからで移動させては行けないのです。

そのことで、平将門さまが起こした事件ばかりが取り上げられて恐れられいますが、なにも考えないでどかそうとするほうがいけないのです。

自分の首を自分で閉めているのと同じ行為なんだから!!

これからは、
平将門さまを敬って頂きたい。
日本のために今日もありがとうございます!と。

わたしも今回のことで、わたしのご先祖さまが、
死んで尚、国のために、働いていることを知り
誇らしく思ったし、これからもご先祖さまを大切にして力をお貸しできることがあれば、そうしたいと思いました。

ご先祖さまを我々が愛するのと同じく、
ご先祖さまもわたしたちのことを愛してくれています。💖 ̖́-‬




今日は、こんなところで。

ありがとう❣️
今日もあなたを愛ししています❣️
ハバナイスニューワールド❣️🌎🌎