⬆︎の集いに参加して来た。


やまゆりの事件から3年。
未だに、「障がい者はいらない存在」と語り続ける植松被告。

社会的に弱い立場に置かれた人が、さらに自分より弱いものを攻撃することで、なんとか自分を保っている、という構図、、のように見えて、
彼を、ここまで追い詰めた社会をどうにかしない限り、彼のような思想はなくならないし、また、同じような事件が起こるとも限らない。
…そんなことを、漠然と考えつつも、
それならあたしには一体何ができるのだろう、と、
モヤモヤしながらの時間を過ごして来た、、、ような気がする。

…が、

今日の集いに参加して、
本当にわたしにはまだまだ知らないことがいっぱいで、
というか、知らないことしかないくらい、何も知らなくて、
いやはや、とにかく先ずは、知ることから始めねば、と、
強く思ったのだった。
(これ、何の分野でもそうで、何か学びに行くたびに、「もっとちゃんと知らなくちゃ、何もできないじゃん!」みたいな、、いつも冷や汗が出るような思いがする。。)

今日の集いの中で何度もの出て来た、キーワードのような言葉。

『地域の中で育つ』

障がいを持った人は、
親など、家族が面倒を見るか、入所施設に入る。
言われてみれば、わたしも無意識にそんな感覚を持っていたかもしれない。

しかし、今日登壇された、障がい者当事者のお子さんを持つお母さんたち3人は、
皆口を揃えて、「地域で育てたい」と言った。




それはつまり、
障がいを持った我が子が、一人の人としての当たり前の喜びや、楽しみの中で、豊かな人生を送ることを願う想いに他ならない。

その当たり前であるはずのことが、
施設によっては(全ての施設がそうだということでない)叶わない、なんて、これまでわたしは想像したこともなかった。
ただただ、何かことが起こらぬように、
危険なことを回避できるように、
もっと言えば、命を継続するための見守りやケアを役割とする、そんな施設も実際にあるという。

…という理由から、
今日の会場全体に流れる空気は、完全に、施設入所に対して肯定的ではないものだった。

これは、これまで障がいを持った方の現場を何も知らずに来たわたしにとっては本当に衝撃的で、全く新しい発想だった。

でも、
今日の集いに一緒飲参加した、先輩女性議員がこう呟いたことで、わたしの中に、「そうか、なるほど…」が生まれた。

「結局、問題は皆同じだし繋がっているんだろうね。」
って。

つい先日、彼女と共に話を聞いた、ひきこもり支援施設のことも、児童擁護に関することも、今回の障がい者の施設のことも、
というかコレ、日頃の子育てでもおんなじ部分があると思うんだけど、
結局、そこに、
本人がどう在りたいのか、どうしたいのか、
どんな気持ちでいるのか、
嬉しいのか、楽しいのか、悲しいのか、、というような、本人の意思、「本人にとって」という視点が欠けていることによって起こる問題なのではないか、ということ。

これは上でも書いた、
「一人の人として豊かに生きる」という視点の話。
つまるところ、人権の話。

…これまで、本当に漠然と、
「社会が変わらなければ、、、でもどうしたら、、、」というモヤモヤ感の中にいたわたしだけれど、
今日、一つ、何かの入口に立ったような気がした。

当事者の方、その家族や周囲の方、一生懸命現場で彼らと向き合っている支援者の方のことを知りたいし、わたしもわたしなりに、福祉って、、、ということを考えていきたいと思った。

そして、、
とっても素敵(であろう)映画に出会った。
7分間しか見ていないので、全編観たいし、何なら上映会もできたらいいなぁ、と。
監督のお名刺いただいてきました。




知りたいこと、勉強したいこと、それをやらなきゃ始まらないことがてんこ盛りで、完全に自分の能力のキャパは超えている。。。
わたしがあと3人くらいいて、やっと少し物事が自分中で回っていくくらい、諸々足りない…。困ったな。

今日感じたこと、もっといっぱいあるんだけど、もう時間切れ。(>_<)
またの機会に。