10月25日(日)昼の極上文學観てきました。
森鴎外の作品でも「高瀬舟」と「舞姫」がとにかく苦手な私。
特に高瀬舟は誰にでも起こりうるこの理不尽さが
現代にも通じていて、痛くて辛いので凄く苦手…。
それをまた朗読劇で聞くというのはきっと心が痛そうで、
それ故に、出ている役者さんたちがいくら好きな方々でも
観ないでおこうかなぁ…と思っていたんですが。
人間ってめっちゃ単純な生き物だな…。
大阪公演前の恒例告知イベント。
しおりお渡しの他にチケット購入者特典ありとのこと。
今回もフラワーリングかなーって思ってたらまさかの4shotチェキで。
しかも、メンバーが最遊記GC組のお3人で、ホイホイつられました…。
写真に写る私の嬉しそうなバカ面よ…。
でもこれもきっと何かの切っ掛けだろうと、
鴎外を好きになるべく行ってまいりました。
マルチキャスティングのこの作品。
私が観た時のキャストはこちら!
<高瀬舟パート>
喜助:村田充
庄兵衛:藤原祐規
弟:椎名鯛造
<山椒大夫>
厨子王:椎名鯛造
安寿:服部翼
山椒大夫:村田充
山岡太夫・次郎:藤原祐規
<両パート共通>
林太郎(作家):天宮良
◇感想
今回はタイトルが2つ。どちらも鴎外作品ではあるものの、
世界観はまったく違うもの。
なので、朗読劇ですし、おそらく高瀬舟と山椒大夫の話を
きっぱり2つに分けるものだと思っていましたので、
凄く綺麗に1つにまとめていたことにまず感動しました。
特に、高瀬舟の終盤になって、自分の知っている文章が抜けていたり
最後のシーンがないことに首を捻っていたら、
死んでしまった喜助の弟が好きだった話「山椒大夫」を
庄兵衛に喜助が聞かせるという流れで「山椒大夫」に展開。
山椒大夫の話終わりに、もう一度高瀬舟に戻り、
聞き手側の心に言葉を投げかけるようにして訴えておきながら、
何事もなかったように物語が終わっていく。
そしてそれらの世界観の構築が本当に素晴らしい。
劇前の注意アナウンスからして、すでに世界が出来ていました。
薄暗いホールに虫の声がする。
アンサンブルの方々が始まる前から地ならしをしている。
始まりの音はない。静かに静かに始まる物語。
終わってから思えば、それはまるで、秋の夜長に縁側で、
久しぶりに本でも読もうかとページを捲ったみたいだなと思います。
とにかく大きな意味で「本」の世界でした。
セットは船を模した大きな台が一つ。
あとは、舞台の周りに浮かぶようにいくつも吊られた
大きな漢字一文字ずつの飾り。
それが凄く「本」らしい。漢字を目で追うあの感覚がよみがえる。
私も含め本を熱中して読む人っていうのは、おそらく頭の中に、
読んでいる文章に沿って、想像するというか、
ふんわり映像が浮かぶ人っていうのが多いと思います。
そのイメージをそっくりそのまま舞台に投影したら、
こんな感じになるんだろうなと凄く思います。
少なくとも私が本を読むときのイメージには凄く近かった。
演劇っていうのは観るものの想像力で補いながら観るものですが、
本と言うのは補うどころか、100%想像力で観るものですよね。
それが目に見えているという不思議な感覚でした。
<本>
朗読劇ですから、本をみなさん手に持っているのですが、
「本」の使い方が見事過ぎました。
黒地に金の箔押しされた「本」は、
台本と言うだけでなく、舞台上で、あらゆるものに変化する。
機織り、鳥、感情を隠す目隠し…
人の視線は知らずに本に集まって、印象に強く残る。
でもそれでいて、物語の邪魔は決してしない。
むしろ時折、役者本人でなくて、通りすがりの他の役者が
ページをわざわざめくることで、「本」自体の印象がさらに強くなり、
「ページをめくる」という本独特の感覚を、感じる。
ぱたん、と強く役者が閉じる本の音も、とても大事で。
その音をさせて「本を閉じる」ということは、
つまりその人物の生が終わる瞬間なんだと凄く感じます。
<季節>
生々しい血じゃなく、流れ落ちるのは深紅の紅葉というのも
本の世界のようで美しかった。
全ては実際の出来事ではなく本の中の出来事。
序盤の高瀬舟のパートにて、
真っ白な布に舞い上げられた紅葉が舞うところでは、
絵画のように美しく思わず身震いしました…。
弟の絶命シーンも、真黒な本から鯛造くんがふうっと吹いた紅の紅葉が
充さんの引き抜くカミソリに合わせて舞うことが怖いけれど綺麗で
人の生き死にを描いた「本」の中の出来事なのだと感じました。
そしてその紅葉は、「山椒大夫」に引き継がれて、
また「高瀬舟」に戻ってくると、最後には雪が降ってくる。
全てを覆い尽くすようにしんしんと降る雪の中を、
一艘の船は水面を滑るように消えていく。
動乱の秋は終わって、静寂の冬が来る。
丁度この季節に観劇しているからこそ、
余計にリアルに日本らしい四季の移ろいを感じるのが凄い。
終わって劇場の外に出たら落ち葉が舞っているとか。
もう余韻に浸るしかないじゃないですか!!!!
勿論文豪が綴る美しい日本語の力というのも大きいですが、
日本人で良かったなぁと赤く染まる葉を観ながら思いました。
<弟/厨子王>
これまた見事だな、と思ったのは2つの話が「弟」という存在で繋がっていること。
鯛造くんは厨子王が本役としてビジュアルには出ていますが、
正しくは「弟」役。けれども与えられる役割は真反対。
高瀬舟では弟は死に、兄が生き残る。
山椒大夫では姉が死に、弟は生き残る。死ぬ側と生きる側。
まったく真逆なんだけれど、その兄と姉の思いは一緒なんだよね。
ただただ、弟を想っている。それが切ない。
想われている弟役。それが鯛造くんなんだけども。
想われているというのが凄く判るんだよ。
彼の笑顔や佇まいが凄く兄や姉のことを想っているから…。
無邪気で、相手のことを想う弟だったから、兄は姉は決断したんだなって。
凄く伝わってしまうので、高瀬舟すごい辛かった…。
絶命するのに、少しほっとしたような嬉しそうな顔をすることが。
涙だっばぁでした。
お姉ちゃんとの掛け合いも本当に可愛くて。
無邪気な子どもの役やらせたらちょっと右に出るものはいないかもしれない。
舞台の上で心をほいっと開くことが出来るんだな、この子。
くるくる変わる表情もたまらなくかわいくて…。
素敵な厨子王様だった…本当にポニーテールもよく似合ってました。
<喜助>
充さんの喜助は…いい意味で人間じゃなかったです。
人でありながら人でない、彼は人狂わしですね。
本人にその気は全然ないし、普通に生きているつもりなのに、
何の因果か関わる人の方が引きずられていく。
カリスマの逆属性みたいな。彼はそんな存在になってしまった。
そりゃあ仏に見えるよ。欲がないってすでに人間じゃないもの。
最初の当たりの話し方に抑揚も何もなくて凄く怖かった。
行動は幼くて、表情も感情の薄い子どもみたいだった。
でも弟を殺したという時に表情を隠したことで、
この人は感情がないわけじゃないんだと、ハッとしました。
そして弟のことを思い出すたびに、蘇る感情。
止まっていた石ころが転がるように、彼の感情が転がり落ちて、
彼はお兄さんだったんだな、と。
弟を愛していて、愛しているがゆえに弟が全てだったんだな、と。
あぁしてやる他なかった。だけど他に出来なかったのか。
迷いがないわけじゃない。でも彼は「足るを知る」人。
それも含めて静かに受け入れたんだと思えば、ひどく悲しかった。
最後に「兄さん」とそう呼ばれた時の充さんの
置いて行かれる子どものような悲しみのような複雑な瞳は、
印象的過ぎて…。ぼろぼろ泣きました。
だってね。庄兵衛には「人狂わし」に見えたとしても
まだ彼はかろうじて人だった。弟の面影がずっと彼の横にいたもの。
労わるように弟である鯛造くんは、兄の傍にいる時必ずどこか触れてた。
安心してよ、僕はここにいるよ。ずっとそうして傍にいたのに。
「弟のことを聞かせてくれ」と言われてすべて話終えたとき。
彼はそっと喜助の傍を離れた。「兄さん」と柔らかな声を残して。
足るを知るというのはいいことなのかなぁ…。
彼は、この後どう生きて行くんだろう。
私には思わぬ出来事で弟を手にかけ、殺してしまったことで、
彼の心の何かも死んだように思えたけどどうだったんだろ。
近くで観てなくて、オペラも涙で見えなかったから、
合っているのかわからないけれども…。
でも充さんの喜助、凄く深くて切なかったです。
<庄兵衛/次郎>
好奇心で手を出したら、触れた水はどこまでも澄んで、
自分の顔が良く見えて、狂わされた人。
私の知る高瀬舟では、ここまで苦悩はしてなかった気がする。
確かに色々考えてはいるんだけど、結局わかんないし、
自分では罪だと思えなくて混乱した挙句に、
腑に落ちないからお奉行様に聞きたい気分になった、
っていう問題を棚上げする人。
でもこの庄兵衛はちゃんと最後は自分で顧みて考えてる。
自分が傍観者だったと気が付いている。
最後雪の降る夜明けの川面に何を想うだろう。
そして同じく藤原くんが演じた次郎も、傍観者だった。
次郎こんなに恋愛っぽかったっけ?って思いながら見た。
確かに次郎が来て、芝刈りに行かせてくれるあたりは、
思うところがあったんだろうなって感じだったと思うけど。
なんかとても思慮深い人…あぁ、そうか。この人も弟だな。
長男は、焼き印を押す父親に嫌気が指して出て行ったんだった。
普通の人なんだな。善悪の判断のつくごくごく普通の人。
安寿とちょっとプラトニックな悲恋っぽいのがまた切ない。
それにしても藤原くんは声優だなぁって思う。
声の立ち具合半端ないし、山岡太夫の時誰かと思った!
声音の使い方が見事。
耳の悪い船頭に声をかける時も、必要以上に大声にせずに
大声を表すという素晴らしさ。
アナウンスも素敵だったし、何より庄兵衛のビジュアルが、
私死ぬほど好みでした…涼しげな眼もとをされているし、
長身の方でもあるので、ほんとお着物姿が素敵だった…。
<安寿と林太郎>
林太郎=鴎外ですね。鴎外の本名。
イケメンだな、この鴎外…チッ…。
時折書いたものをくるくるぽいってするのも良いですし、
何より天宮さん死ぬほどいいお声!!!!!
凄く聞きやすくて、滑らかであまりの良いお声に、
声フェチの私、大歓喜!!!!!!!!
この演出凄く好きだなー…作家がいることで重くなり過ぎない。
時折彼の描いたキャラクターがそっと彼に寄り添うのも好き。
親であり、語り部。素敵だなー…。
安寿の翼くんもとても良いお声。通るのだよね。とにかく。
あと動きが美しい。「シャン」っていう涼やかな音と共に
手首を翻す動きが凄く綺麗で、少女っぽかった…
入水シーンどれだけ泣いたか…。あと二郎との恋悲しい。
死んだあと、鳥のように蝶のように本が舞い上がるのも綺麗だった。
影絵の効果的な使い方をよくご存じだな…。
語り部してるときの抑揚が心地よくて、よかったなー…。
翼くんって去年ホンキートンクでノンノやってたイメージだったので、
他のお芝居も観たくなったなあ…。
地声はかなり低めなんだねー…。
赤眞コーナー?でやってた一人二役が同じ人が喋ってるって
すぐに気づかなくて吃驚しました…
そんなとこかな。生演奏もすごくよかったなー。
うんうん。でもなんか本当に文字通り「極上文學」だったわ。
秋の夜長に味わう極上な文學作品。凄く大満足でした!!!!!
次は私の好きなTHE変態文學の谷崎だって!
春琴抄めっちゃ観たい!!!!!
と、言ってもキャスト次第お財布次第なとこある…。
観に行けますように…。
森鴎外の作品でも「高瀬舟」と「舞姫」がとにかく苦手な私。
特に高瀬舟は誰にでも起こりうるこの理不尽さが
現代にも通じていて、痛くて辛いので凄く苦手…。
それをまた朗読劇で聞くというのはきっと心が痛そうで、
それ故に、出ている役者さんたちがいくら好きな方々でも
観ないでおこうかなぁ…と思っていたんですが。
人間ってめっちゃ単純な生き物だな…。
大阪公演前の恒例告知イベント。
しおりお渡しの他にチケット購入者特典ありとのこと。
今回もフラワーリングかなーって思ってたらまさかの4shotチェキで。
しかも、メンバーが最遊記GC組のお3人で、ホイホイつられました…。
写真に写る私の嬉しそうなバカ面よ…。
でもこれもきっと何かの切っ掛けだろうと、
鴎外を好きになるべく行ってまいりました。
マルチキャスティングのこの作品。
私が観た時のキャストはこちら!
<高瀬舟パート>
喜助:村田充
庄兵衛:藤原祐規
弟:椎名鯛造
<山椒大夫>
厨子王:椎名鯛造
安寿:服部翼
山椒大夫:村田充
山岡太夫・次郎:藤原祐規
<両パート共通>
林太郎(作家):天宮良
◇感想
今回はタイトルが2つ。どちらも鴎外作品ではあるものの、
世界観はまったく違うもの。
なので、朗読劇ですし、おそらく高瀬舟と山椒大夫の話を
きっぱり2つに分けるものだと思っていましたので、
凄く綺麗に1つにまとめていたことにまず感動しました。
特に、高瀬舟の終盤になって、自分の知っている文章が抜けていたり
最後のシーンがないことに首を捻っていたら、
死んでしまった喜助の弟が好きだった話「山椒大夫」を
庄兵衛に喜助が聞かせるという流れで「山椒大夫」に展開。
山椒大夫の話終わりに、もう一度高瀬舟に戻り、
聞き手側の心に言葉を投げかけるようにして訴えておきながら、
何事もなかったように物語が終わっていく。
そしてそれらの世界観の構築が本当に素晴らしい。
劇前の注意アナウンスからして、すでに世界が出来ていました。
薄暗いホールに虫の声がする。
アンサンブルの方々が始まる前から地ならしをしている。
始まりの音はない。静かに静かに始まる物語。
終わってから思えば、それはまるで、秋の夜長に縁側で、
久しぶりに本でも読もうかとページを捲ったみたいだなと思います。
とにかく大きな意味で「本」の世界でした。
セットは船を模した大きな台が一つ。
あとは、舞台の周りに浮かぶようにいくつも吊られた
大きな漢字一文字ずつの飾り。
それが凄く「本」らしい。漢字を目で追うあの感覚がよみがえる。
私も含め本を熱中して読む人っていうのは、おそらく頭の中に、
読んでいる文章に沿って、想像するというか、
ふんわり映像が浮かぶ人っていうのが多いと思います。
そのイメージをそっくりそのまま舞台に投影したら、
こんな感じになるんだろうなと凄く思います。
少なくとも私が本を読むときのイメージには凄く近かった。
演劇っていうのは観るものの想像力で補いながら観るものですが、
本と言うのは補うどころか、100%想像力で観るものですよね。
それが目に見えているという不思議な感覚でした。
<本>
朗読劇ですから、本をみなさん手に持っているのですが、
「本」の使い方が見事過ぎました。
黒地に金の箔押しされた「本」は、
台本と言うだけでなく、舞台上で、あらゆるものに変化する。
機織り、鳥、感情を隠す目隠し…
人の視線は知らずに本に集まって、印象に強く残る。
でもそれでいて、物語の邪魔は決してしない。
むしろ時折、役者本人でなくて、通りすがりの他の役者が
ページをわざわざめくることで、「本」自体の印象がさらに強くなり、
「ページをめくる」という本独特の感覚を、感じる。
ぱたん、と強く役者が閉じる本の音も、とても大事で。
その音をさせて「本を閉じる」ということは、
つまりその人物の生が終わる瞬間なんだと凄く感じます。
<季節>
生々しい血じゃなく、流れ落ちるのは深紅の紅葉というのも
本の世界のようで美しかった。
全ては実際の出来事ではなく本の中の出来事。
序盤の高瀬舟のパートにて、
真っ白な布に舞い上げられた紅葉が舞うところでは、
絵画のように美しく思わず身震いしました…。
弟の絶命シーンも、真黒な本から鯛造くんがふうっと吹いた紅の紅葉が
充さんの引き抜くカミソリに合わせて舞うことが怖いけれど綺麗で
人の生き死にを描いた「本」の中の出来事なのだと感じました。
そしてその紅葉は、「山椒大夫」に引き継がれて、
また「高瀬舟」に戻ってくると、最後には雪が降ってくる。
全てを覆い尽くすようにしんしんと降る雪の中を、
一艘の船は水面を滑るように消えていく。
動乱の秋は終わって、静寂の冬が来る。
丁度この季節に観劇しているからこそ、
余計にリアルに日本らしい四季の移ろいを感じるのが凄い。
終わって劇場の外に出たら落ち葉が舞っているとか。
もう余韻に浸るしかないじゃないですか!!!!
勿論文豪が綴る美しい日本語の力というのも大きいですが、
日本人で良かったなぁと赤く染まる葉を観ながら思いました。
<弟/厨子王>
これまた見事だな、と思ったのは2つの話が「弟」という存在で繋がっていること。
鯛造くんは厨子王が本役としてビジュアルには出ていますが、
正しくは「弟」役。けれども与えられる役割は真反対。
高瀬舟では弟は死に、兄が生き残る。
山椒大夫では姉が死に、弟は生き残る。死ぬ側と生きる側。
まったく真逆なんだけれど、その兄と姉の思いは一緒なんだよね。
ただただ、弟を想っている。それが切ない。
想われている弟役。それが鯛造くんなんだけども。
想われているというのが凄く判るんだよ。
彼の笑顔や佇まいが凄く兄や姉のことを想っているから…。
無邪気で、相手のことを想う弟だったから、兄は姉は決断したんだなって。
凄く伝わってしまうので、高瀬舟すごい辛かった…。
絶命するのに、少しほっとしたような嬉しそうな顔をすることが。
涙だっばぁでした。
お姉ちゃんとの掛け合いも本当に可愛くて。
無邪気な子どもの役やらせたらちょっと右に出るものはいないかもしれない。
舞台の上で心をほいっと開くことが出来るんだな、この子。
くるくる変わる表情もたまらなくかわいくて…。
素敵な厨子王様だった…本当にポニーテールもよく似合ってました。
<喜助>
充さんの喜助は…いい意味で人間じゃなかったです。
人でありながら人でない、彼は人狂わしですね。
本人にその気は全然ないし、普通に生きているつもりなのに、
何の因果か関わる人の方が引きずられていく。
カリスマの逆属性みたいな。彼はそんな存在になってしまった。
そりゃあ仏に見えるよ。欲がないってすでに人間じゃないもの。
最初の当たりの話し方に抑揚も何もなくて凄く怖かった。
行動は幼くて、表情も感情の薄い子どもみたいだった。
でも弟を殺したという時に表情を隠したことで、
この人は感情がないわけじゃないんだと、ハッとしました。
そして弟のことを思い出すたびに、蘇る感情。
止まっていた石ころが転がるように、彼の感情が転がり落ちて、
彼はお兄さんだったんだな、と。
弟を愛していて、愛しているがゆえに弟が全てだったんだな、と。
あぁしてやる他なかった。だけど他に出来なかったのか。
迷いがないわけじゃない。でも彼は「足るを知る」人。
それも含めて静かに受け入れたんだと思えば、ひどく悲しかった。
最後に「兄さん」とそう呼ばれた時の充さんの
置いて行かれる子どものような悲しみのような複雑な瞳は、
印象的過ぎて…。ぼろぼろ泣きました。
だってね。庄兵衛には「人狂わし」に見えたとしても
まだ彼はかろうじて人だった。弟の面影がずっと彼の横にいたもの。
労わるように弟である鯛造くんは、兄の傍にいる時必ずどこか触れてた。
安心してよ、僕はここにいるよ。ずっとそうして傍にいたのに。
「弟のことを聞かせてくれ」と言われてすべて話終えたとき。
彼はそっと喜助の傍を離れた。「兄さん」と柔らかな声を残して。
足るを知るというのはいいことなのかなぁ…。
彼は、この後どう生きて行くんだろう。
私には思わぬ出来事で弟を手にかけ、殺してしまったことで、
彼の心の何かも死んだように思えたけどどうだったんだろ。
近くで観てなくて、オペラも涙で見えなかったから、
合っているのかわからないけれども…。
でも充さんの喜助、凄く深くて切なかったです。
<庄兵衛/次郎>
好奇心で手を出したら、触れた水はどこまでも澄んで、
自分の顔が良く見えて、狂わされた人。
私の知る高瀬舟では、ここまで苦悩はしてなかった気がする。
確かに色々考えてはいるんだけど、結局わかんないし、
自分では罪だと思えなくて混乱した挙句に、
腑に落ちないからお奉行様に聞きたい気分になった、
っていう問題を棚上げする人。
でもこの庄兵衛はちゃんと最後は自分で顧みて考えてる。
自分が傍観者だったと気が付いている。
最後雪の降る夜明けの川面に何を想うだろう。
そして同じく藤原くんが演じた次郎も、傍観者だった。
次郎こんなに恋愛っぽかったっけ?って思いながら見た。
確かに次郎が来て、芝刈りに行かせてくれるあたりは、
思うところがあったんだろうなって感じだったと思うけど。
なんかとても思慮深い人…あぁ、そうか。この人も弟だな。
長男は、焼き印を押す父親に嫌気が指して出て行ったんだった。
普通の人なんだな。善悪の判断のつくごくごく普通の人。
安寿とちょっとプラトニックな悲恋っぽいのがまた切ない。
それにしても藤原くんは声優だなぁって思う。
声の立ち具合半端ないし、山岡太夫の時誰かと思った!
声音の使い方が見事。
耳の悪い船頭に声をかける時も、必要以上に大声にせずに
大声を表すという素晴らしさ。
アナウンスも素敵だったし、何より庄兵衛のビジュアルが、
私死ぬほど好みでした…涼しげな眼もとをされているし、
長身の方でもあるので、ほんとお着物姿が素敵だった…。
<安寿と林太郎>
林太郎=鴎外ですね。鴎外の本名。
イケメンだな、この鴎外…チッ…。
時折書いたものをくるくるぽいってするのも良いですし、
何より天宮さん死ぬほどいいお声!!!!!
凄く聞きやすくて、滑らかであまりの良いお声に、
声フェチの私、大歓喜!!!!!!!!
この演出凄く好きだなー…作家がいることで重くなり過ぎない。
時折彼の描いたキャラクターがそっと彼に寄り添うのも好き。
親であり、語り部。素敵だなー…。
安寿の翼くんもとても良いお声。通るのだよね。とにかく。
あと動きが美しい。「シャン」っていう涼やかな音と共に
手首を翻す動きが凄く綺麗で、少女っぽかった…
入水シーンどれだけ泣いたか…。あと二郎との恋悲しい。
死んだあと、鳥のように蝶のように本が舞い上がるのも綺麗だった。
影絵の効果的な使い方をよくご存じだな…。
語り部してるときの抑揚が心地よくて、よかったなー…。
翼くんって去年ホンキートンクでノンノやってたイメージだったので、
他のお芝居も観たくなったなあ…。
地声はかなり低めなんだねー…。
赤眞コーナー?でやってた一人二役が同じ人が喋ってるって
すぐに気づかなくて吃驚しました…
そんなとこかな。生演奏もすごくよかったなー。
うんうん。でもなんか本当に文字通り「極上文學」だったわ。
秋の夜長に味わう極上な文學作品。凄く大満足でした!!!!!
次は私の好きなTHE変態文學の谷崎だって!
春琴抄めっちゃ観たい!!!!!
と、言ってもキャスト次第お財布次第なとこある…。
観に行けますように…。