夫が退院して3週間が経ちました。

 

この3週間で何回、言い争いになったんだろう。

 

これが私たちなんだと、思い知らされて哀しくなります。

 

 

夫の診断は『グレード3 退形成星細胞腫』です。

再発したら、末期になったら、

と考えない日はありません。

 

10年後の息子の成人式は絶対に2人でお祝いしてあげようね!

なんて希望を持って、明るく優しく側にいてあげれたら

それが心にも身体も脳にもきっといいに決まっているのに

NK細胞は大切と自分自信実感しながら過ごしてきたはずなのに…

そんな風に一緒にいてあげらません。

 

希望も大事だけど、それよりも必ず訪れる現実を予想して

まだ憤ったり…

人前で日常を過ごすのに精一杯平常心を保つ手段が

『強い自分』しか見当たりません。

 

夫の寿命より、夫が居なくなった後の事に

焦点を合わせてしまう。

合わせたくなくても、そこにピントが絞られていってしまう。

 

末期になったら、高次脳障害になったら、介護が必要になったら…

正直何の知識もない。

怖くて知りたくない現実に調べようともできない。

 

 

 

 

もっと先…そうあと20年くらい先だった。

老後、自分の最期がどうありたいか?夫婦だから語らい合える日がくるの。

 

40代が始まったばかり。

これから先10年は息子を中心に一生懸命子育てや進路に

力を注ぐ時期だと思っていた。

 

私の乳がんの再発さえなければ必ずそんな風に過ごしていけると

思っていた。

そんな高望みな生活ではなかった。

 

だから、『私には介護はできないよ。』

と。

 

だって、覚悟なんてできないの、やっぱり。

地団駄踏んで泣きたくなる。

 

でもだかといってまだ若い夫を人任せにできるのか?

だれに介護されているかも分からなくなってしまうのか?

ならば、尚更、人任にはできない。

そんなの可哀想すぎる。と。

 

ジレンマから抜け出せない。

 

そんな、私の気持ちを夫は理解できていないようだった。

 

2人で言い争いになれば、相手を傷つける意味のない言葉ばかりで

本心に寄り添いあう事ができない。

 

 

 

私が泣いていれば優しく声をかけてくれて

いつも歩み寄ってくれた夫。

父を亡くしてから、寝起きに泣いてしまう私を

背後から包んでくれていたのに…

そんな余裕をなくした夫。

 

私が今度はしてあげる番なのに出来ないでいる。

 

懇親的に支える妻になれない。

 

私が背中を抱きしめると

『そんな綺麗事じゃない。

これがリアルでしょ』と夫が言った。