芽球性形質細胞様樹状細胞腫瘍 BPDCN

2020年1月3日に旅立った父の患った病気。


前もって情報を収集しておく事が、

自分が冷静で、そして

なによりもショックを抑えられると

どこか自分防衛のように

このBPDCNについて検索しまくった。

でも、情報は少なかった。


穏やかで淡々とした‥冷静沈着な主治医。


『あらゆる癌がある中で血液の癌と言われる

白血病や悪性リンパ腫は少ない癌の種類です。

その中でも0.2%にみたない希少な癌がBPDCNです。

研究がなかなかされず未だはっきりと

解明できていない事も多く

この病気に特化した治療法も

まだ確立だきていなちというのが現状です。

個々の患者さんの状態や年齢、

症状を考慮した上で

白血病や悪性リンパ腫の行う治療方法を

用いて寛解を目指します。

寛解を目指す上で一番効果的な治療方法は

抗がん剤と放射線治療を用いて

徹底的に叩いた後に骨髄移植をする事ですが、

年齢から考えその治療は 行わないほうがいいです。

かなりハードな化学療法が命取りになりかねません。


あくまで統計学上の数値になりますが

6ヶ月というのが平均的な余命になります。』




治療に入る前、

父が父でなくなってしまうような

抗がん剤治療はして欲しくない。

病気を治すためなのに、苦しい副作用で

目的が分からなくなってしまう事は

本末転倒だし、

少しでも元の状態で過ごせるように、

その都度判断しながら

治療をしていって欲しいという娘である私の願いを

父。母。姉。ドクターの前で話した。

その思いはみんな同じだった。


私が乳癌だと分かった時、

「親より先に逝くなんてことはありえない。

出来る限りの治療は全てやってほしい。」

と言って、全力でサポートをしてくれた。





私の乳癌なんて、

調べればいくらだって経験者の声を集められるし、

日々よりよい治療を研究してくれているのに、

父の病気はあまりに厳しすぎる病気だった。



でも、家族の支えが力になると

みんな信じていた。

姉と私も、、孫たちも、じぃじぃの為に何が

出来るか?毎日考えた。



大晦日、病室に行くと

「全員集めてほしい。」と。

1時間後には

全員集まり、病室でピースをして写真を撮った。

毎年1月2日に撮っている集合写真。

今年は大晦日だった。


一人一人に握手をして話をしてくれた。

パパには
「しっかりやるんだよ。」

息子には
「夢はなんだ?がんばるんだよ。」

わたしには
「あと5年だね。大丈夫だよ。」

「そんなに泣くんじゃない。」と

頭をよしよししてくれた。


でも、

父が旅立ち、思う。


この気持ち。悲しい気持ち。は

癒される日なんてこない。

この喪失感は父でしか埋められない。

他に代わるものなんてない。

あいたいな。

でも、あの頭をよしよししてくれた

あの感覚と言葉をずっと支えにして

生きて行く。

ずっと悲しいけど、生きていける。

って思える。



3つ目完成!
バカの1つ覚え⁈
まだまだ編みます、、笑






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