朝、自然に目が覚めた。
時差のせいかなのか、それともいつもより深く眠れたからなのか。
目を開けると、白いカーテンの隙間から柔らかな朝の光が差し込んでいた。
その向こうに見えるのは、朝焼けに染まった白い浜とのエメラルドグリーンの海。
静かな朝だった。
隣を見るとAnneがいない。
一瞬、驚いた。
だが、すぐにバルコニーから声が聞こえた。
「起きた?」
彼女はコーヒーを片手に、椅子に座っていた。
朝の光を浴びた赤毛が、少しだけ金色に見える。
「早いな」
「私、昨日...結局寝ちゃって。ハネムーンなのに、ごめんなさい」
……しおらしい。
どうしたんだろう。
彼女が寝落ちすることなんて、いつものことだ。
「いや、僕も疲れてたし」
「気にしないで」
そう言うと、彼女の顔にいつもの笑顔が戻った。
「ありがとう」
やっぱり、この顔のほうがいい。
「まだ時間あるし、下で朝ごはん食べない?」
***
一階のレストランへ向かう。
ビュッフェには、卵、ベーコン、パン、シリアル、ヨーグルト、サラダ。
見慣れた朝食が並んでいる。
その一方で、メキシコらしい料理や、見慣れない果物もあった。
「……これ何だ?」
Anneが振り返る。
「スターフルーツ」
「これは?」
「ライチ」
「……これは?」
「私もわかんない」
僕は頷く。
結局、よくわからない。
僕が料理を取ろうとすると、Anneが手を伸ばした。
「Brew、座ってて」
「僕も行くよ」
「いいって。好きなもの、分かるから」
そう言って、トレーを持って行ってしまった。
僕は仕方なく席に座った。
……なんだろう。
妙に落ち着かない。
普段なら、こういうことは僕がやる。
しばらくして、Anneが戻ってきた。
トレーを見る。
スクランブルエッグ。
カリカリに焼いたベーコン。
サラダ。
トースト。
それから、プレーンヨーグルトに少しだけ蜂蜜。
ブラックコーヒー。
「……全部、僕が好きなものだな」
「でしょ?」
得意げな顔。
「ありがとう」
「どういたしまして」
僕はコーヒーを一口飲んだ。
なんとなく、いつもより美味しい気がした。
Anneのトレーを見る。
フルーツ。
フルーツ。
またフルーツ。
そしてパンケーキ。
……野菜はない。
何か言おうと思ったが、やめた。
今日はハネムーンだ。
細かいことは、目を瞑ろう。
Anneが飲んでるグリーンの飲み物に気付く。
「これ、すごく美味しい」
彼女はもう一口飲む。
「Green Detoxだって。ケールと、レモンと、キウイが入ってるのは分かるんだけど……」
少し考える。
「他がよく分からないなぁ」
その顔。
たぶん、帰ったら再現するつもりだ。
Anneはこういうところがある。
気に入ったものがあると、突然研究者になる。
「もう一杯もらってくる」
また立ち上がった。
「そんなに気に入ったのか?」
「うん!」
そしてジュースコーナーへ向かう。
数分後。
なぜか、見知らぬ女性と盛り上がって話している。
スペイン語だ。
……本当にすごいな。
どこへ行っても、誰とでも話せる。
たぶん今、このジュースがどれだけおいしいかについて熱弁している。
そんな気がする。
しばらくしてAnneが戻ってきた。
「はい」
「何?」
「これ、Brewに」
どう見てもwatermelonだった。
一口飲む。
……うまい。
甘い。
冷たい。
そして、妙に目が覚める。
Anneが満足そうに僕を見ている。
時計を見る。
そろそろ時間だった。
***
朝食を終え、ツアーバスへ乗り込む。
さすがハネムーンツアーというべきか、乗客はほとんどカップルだった。
ただ、一つ気になることがある。
メキシコ人。
南米系。
いろいろな国の人がいる。
でも、僕たちのようなアメリカ人は見当たらない。
バスが出発する。
空港からホテルへ向かったときとは、違う方向へ進んでいく。
観光客向けの建物が減り、道路の両側に緑が増えていく。
やがて、見渡す限りの森になった。
メキシコ。
僕が勝手に想像していたのは、もっと乾いた土地だった。
だが、ここはまるで違う。
密集した木々、濃い緑、湿った空気。
ユカタン半島。
同じメキシコでも、場所が変わればこんなに景色が変わるのか。
やがて、運転席の横に座っていたガイドが立ち上がった。
帽子にベスト。
まるでサファリパークのガイドのような格好だ。
そして、ものすごく元気だった。
スペイン語で説明を始める。
僕は何となく聞いていた。
ところが途中で、ガイドが英語で声を上げた。
「Any English speaker?」
……。
誰も手を上げない。
僕は周囲を見る。
本当に誰もいない。
隣を見る。
Anneは平然としている。
僕は手を上げれなかった。
すると、Anneが小声で言った。
「ねぇ、なんで手、上げなかったの?」
「いや……」
少し考える。
「君がいるから、いいかなって」
「そうだけど……」
そして、さらに小さな声で。
「これ、英語の説明なくなっちゃったよ」
「……」
そういうことか。
「私もネイティブみたいには理解できないけど」
そして、なぜか笑う。
「まぁ、いっか。どうにかなる」
どうにかなる。
その言葉をAnneが言うと、本当にどうにかなりそうに聞こえる。
ガイドがこちらを見た。
「¿Hay algún problema?」
Anneが笑顔で答える。
「No hay problema」
そして僕を見る。
「私、がんばる」
「……頼む」
本当に頼むしかない。
その後、Anneはガイドの説明を聞きながら、ときどき僕の耳元で英語に訳してくれた。
正確なのかどうかは分からない。
でも、本人が楽しそうなので、それでいい気がした。
バスはさらに森の中を進んでいく。
窓の外は、ずっと緑だった。
一時間ほど走ったところで、ようやくバスが止まった。
大きなエントランス。
"Xcaret"の文字。
シカレ海洋公園。
「着いた!」
Anneの声が弾む。
ガイドが何か強い口調で説明している。
「何だって?」
「帰りは7時。同じ場所に集合」
「7時?」
「うん。5分遅れたら置いてくって」
「……厳しいな」
「流石、メキシコ」
Anneが僕の腕を引く。
「まぁ、行こう!」
その顔を見る。
たぶん今日も、僕はこの人に振り回される。
……それも悪くない。
むしろ、かなり楽しみだった。
