国内規制適用外

国内規制適用外

日本製輸出仕様と実銃

 

 

 

 

 

 

 

パリの絵と音楽。YouTubeで視聴可能。

 

 

 

 

狭い所での家屋解体

 

 

 

オーストラリアの解体作業。分別をしないため極めて簡単。

 

 

 

江戸幕府の最終回

 

 

 

 

ホームレスの体験記。なかなか良い。

YouTube なら視聴できると思う。

 

 

 

同感

 

 

 

日本のニート。学校に行かず就職もせず。それでいながら家の中では暴君として振舞う。

他の国は皆生きることに必死だから、このような馬鹿が存在しない。

 

 

 

 

まだ紹介していない動画のつもり。(設定から音声トラックで日本語を選択できる)

犯罪者に優しい日本は、このような実力行使を認めない。「ミサイルを迎撃したら、破片で怪我する人が出る。戦うことには絶対反対」と主張する政党の存在するのが日本だ。

 

 

 

 

 

 

--- since 1979   #54  ---

 

1964年、船で単身渡米した人物。10年後に Golden West Sports Tour という射撃ツアーの会社を会社を興し、さらに High Bridge Arms の経営者となった日本人Takahashi氏の話。

 

もし現代の人がサンフランシスコに着いて、現地での送迎なしとしたら、BART(Bay Area Rapid Transit 湾岸地区高速鉄道)に乗ってダウンタウンに向かう。
しかし、この鉄道ができたのは1972年であり、空港まで延伸されたのは2003年だ。

1960年代に空港からサンフランシスコ市街まで行く時は、Airporter BusまたはGreyhound Busに乗っていたと思う。
Airporterは空港とサンフランシスコ市内を直行でつなぐプライベートカンパニー。Greyhound は当時全米を走っていた庶民の長距離路線バスだ。

今のところGreyhound Busが空港に停車していた確証はないのだが、Airporter Busだけで空港利用者すべてを輸送できたとは思えない。

 

1964年渡米のTakahashi氏は、飛行機でなく船の旅なのでサンフランシスコ湾の埠頭に着いた。

独りで日本の港を離れた氏だが、何日も船に乗っているうち、おそらく船内で何人か日本人の知り合いができていたと考えられる。

今の時代ならネットでバス路線や時刻表まで簡単に調べることができるが、1964年となると日本ではアメリカの空港から市街まで移動する方法を書いた本もなかったような気がする。あの頃アメリカに行くことができたのは金持ちだけなので、空港から市内まで公共交通機関で行く人はいない。つまり情報誌など存在する意味がなかったのである。

そういった点で、市内の埠頭に直接着岸する船旅はTakahashi氏に好都合だった。

「アメリカに行く。着いた後どうするかは船内で情報収集する。船内の日本人が自分だけであるはずがないから、絶対に誰かと会って話を聞ける」とTakahashi氏は考えていたのだろう。
飛行機の旅だと知り合いになれるのは隣席の人だけだが、何日も乗っている船なら、そこで必ず日本人に会うことを計画に入れていたはずだ。
それにしても、「行けばなんとかなる」と覚悟を決めて片道切符で渡米した昔の日本人は偉い。
1960年代前期だと、海外の事を知りたくてもガイドブックなどがなく、行ったことのある人から話を聞こうにも経験者そのものがいない時代なのである。

最近の日本にいるニートなる馬鹿どもは、何かあるとすぐ「肉体労働は無理。コミュニケーション障害だから人と会話できない。自分より年下の奴に仕事の指示をされたくない。何年も部屋の中に籠っているので、家族以外と会話したことがない。外で働くなんて絶対に無理」などと “できない理由” ばかり並べたてる。

偉そうにコミュニケーション障害などという言葉を使うが、実際はただ社会経験が乏し過ぎて人の話についていけないだけだ。知っている言葉は「マジ」「無理」「やばい」しかないから当然のことだ。〇〇障害など心の病でなく、ただの愚かな臆病者でしかない。彼らは、未知のことすべてに対して「たぶん無理」と考える。


小さなことに拘り、あれはダメこれもダメという窮屈な日本社会に納得できないなら、自由を求める者にとってアメリカは最善の選択だった。
ターク高野氏も「俺はいろんな国に行った。でも、銃と車が好きなら結局アメリカしかないよ」と言っていた。