自分に逢いに行きました | It's a sunny day

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麗しく 朗らかでいたい わたしの毎日

ヒプノセラピー(前世療法)を受けてきました。


人生のカンニングみたいなもので(笑)、なんかヒントになるかな、と思って。

ま、ただ単に、ミーハーなんですけどね。


前世の是非については、ここでは問題ではなく。

先生の言葉で納得したのは、この療法は、

今、ここに生きている私から、まっすぐ穴を掘り下げていって、

ストン、と掘りあたったところの気持ちを垣間見る、というもの。


私の場合は、映像というより、「そう思った、感じた」の集合体でした。


結局のところ、私の前世はなんだったのさ?っていうと、


私は、

風の吹いている、草原に立っていた。

白いドレスを着て。

ダークカラーの髪(黒か栗かはわからない)が風になびいて左側へと流れている。

裸足。

少し日に焼けていて、健康そうな女の子。

丘の上に立って見下ろしている。


振り返ると洋館があって、庭から眼下を見下ろしていたのだ。

たぶん、ヨーロッパのどこか。

どの国かはわからなかった。


テラスがあって、そこから入っていくと、お手伝いさんがお茶会らしき用意をしている。

(私)はリラックスしていて、つまみぐいとかするの。


登場人物はいないのだけれど、たとえば両親とか。

でも、さびしい感じは一切しない。


数年後の場面に移ると、(私)は建物の廊下にいた。

ここは寄宿舎学校。

なぜだかロンドンだってわかった。

ピンクと白のストライプのドレスを着て、休暇前の誰もいない学校で

迎えの車を待っている。


白いタイツと黒い靴。脚をソファーに投げ出して、思った。

「ああ、たいくつ・・・」


そして数年後には、(私)は髪を結い上げて、帽子をかぶって新聞社に勤めていた。

でも、そこからは「人形」になって動かない。

勤めていてもお飾りの「お嬢さん」なことは、自分でわかった。


その後、機関車に乗って、田舎に帰る。

戦争が始まるみたいで、ロンドンの街はざわざわしている。

でも、(私)は何もないことがわかっていたので、落ち着いていた。


ヨーロッパのどこかの街の小さな駅へ降り立つと、黒い車が迎えに来た。

昔から知っている運転手さんが、笑顔で迎えてくれる。


そこから、実家ですごす日々がはじまったようだ。

穏やかな、とても平和な村。

季節の花々が咲いて、鮮やかな黄緑色の樹がたくさん植わっている。

相変わらず、風が気持ちよく吹いている。


その人生の最後の場面にいくと、今の私が、お墓の前に立っている。

きれいに整備された、お墓。


平和な、いや平和すぎる、人生を終えた。


なにか言いたいことはない?と先生に質問されると、


胸の奥から感情がこみ上げてきて、涙と嗚咽ともに

「もっと働きたかった・・・!」


(この瞬間まで、正直、それほど催眠へ誘導されていたわけでない私は、

泣き出した自分に一番びっくりしたのだ!)


「いろんな国に行きたかった」

「結婚もしてみたかった」

「全部持っていたのに、なんにも生かせなかった」


どうしてしなかったの?

自分で自分の檻を作って、そこから出なかっただけ。答えは私が知っていた。

・・・これって、今の私でもありませんか?


ヨーロッパの田舎風のものや寄宿学校の暮らしに、とても懐かしさを感じるのも、

パーティーが退屈だと知っていたのも、

風や草花が大好きなことも。

外国に行くと、もう胸が痛くなるくらいワクワクするのも。

ビックベンが子供のころ怖かったのも、

でも、なぜか一番最初にいった外国はイギリス、ロンドン!なことも。

ブリティッシュコロニーが大好きなことも。

かつて、夢見て恋焦がれた土地だったんだね。


彼女の人生が、今の私の人生に大きく影響しているのはわかる。


英語や中国語を通じて、いろいろ知りたいんだ。


ワクワクすることを、場所を、この目で見てみなくちゃ!体験しなくちゃ!

この、私が。


そう思ったの。

これは、大きな癒しですよ。


前世がなんだったのか。
その映像やらなんやらが、前世(一つ前の世)なのか過去世(2つ以上前の世)なのか、

ただの夢なのか、はどれでも良いこと。

ただ、潜在意識が私に伝えたかったものなのだんだ、ということ。


ならば、それに触れることは、瞑想とおなじ。

大きな癒しなのだ。