新しい東京ダービーがやってきた 「駆け上がれ、名馬街道」 【ラビアンシャトーの競馬日誌】 | 複雑な理論なんか捨てたのに、全く当たらない競馬予想

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振り返らずに 流されずに 心にある地図を信じて
複雑な理論なんて捨てて 伝えたいことが溢れてく
(いきものがかり♬いこう:数年前のJRAのCM曲抜粋)

周知のとおり今年からダート競走体型整備により、JRA馬を加えてJpnⅠとなった。

たぶん最初は中央馬の独壇場となるだろうが、ジャパンカップがそうであったように、外国馬の壁にずいぶん苛められたものの、徐々に日本馬が台頭し、全体の底上げにつながり今の現状がある。地方馬も今は耐えて頑張ってほしい。

わたしの東京ダービー思い出の馬は、1989年の勝ち馬「ロジータ」で、あるが今回の記憶に残る馬はロジータの母「メロウマダング」である。

ロジータはロジータ記念にその名を残す通りの南関東の歴史的名牝である。今回はその母の話。

1983年頃わたしが足繁く通った川崎競馬場。当時は水曜休みで土日にも開催していた南関東。家が川崎だったこともあるが、後楽園で中央の馬券を買って川崎競馬場に来たことも多かった。

ある雨の日、900m新馬戦が行われ、人気のメロウマダングが好発からぶっちぎりのレコード勝ちを収めた。印象は「とてつもなく速い馬だな」。

▲雨の川崎競馬場 写真は現在のもの。 

 当時はビジョンもなく新スタンドもできてなかった。勿論昼間開催。

 向こう正面には工場があり「ト キ コ」と大きな看板があった。

 

ところが何週間か後に訪れた川崎競馬場で、たぶん雨だったと思うが、またしてもメロマダングがぶっちぎりで自身のレコードを塗り替え圧勝した。このときの印象は「将来、中央でも活躍できる」にかわり、次走を心待ちにしていた。が、翌年彼女は2戦して1勝、着外1で引退した。

そのころは中央馬でさえ情報が薄いのに、地方馬など全くわからない状態であった。

 

何年か過ぎて、メロウマダングのことも忘れていたころ、どのレースか覚えていないがロジータの名があり、母の名を見てびっくり。

映画「学校」でイノさん役の田中邦衛が、授業中にオグリキャップの話を興奮して話すように、心の中で「おれはこの馬のおっかさん知ってるんだ、泥んこの川崎でぶっちぎったメロウマダングってやつさ」と興奮した。

懐かしさのあまり、もの凄くときめいたのを覚えている。もちろんロジータを応援し、活躍した子供たちも応援した。

 

まあ、あれからかなりの年月が経ち、その血を引く馬もかなり末裔になりつつある。

三代母をロジータに持つビバサムシングの2022がJRA-VAN POG24で検索できたが、まだJRA未登録となっている。

 

 

さて、ことしの東京ダービーは、大井競馬のイメージキャラクター中村アンさんが来場するようで、じつに簡単なサイン馬券。

JRA所属の4⃣7アンモシエラだろう。地方馬では2⃣3シシェフォスに頑張ってもらいたい。

即PATでしか買えないので、馬券は見送り。(本当は手を出せない)

カバー写真は東京ダービーを勝った時のロジータ。