今から5年前の春。
いくつもの偶然が重なって
被災地でヨガやマッサージをする、という目的のもと
先輩ヨガインストラクターの竹内久理子さんと、ボランティア団体の方々と一緒に
宮城県へ二度訪れる機会がありました。
目の前に広がる光景は
当時SNS上で大騒ぎになっていた
一度も会ったことのない人による
不確かな情報によって構築された
バーチャルな震災とは
まったく異なるものでした。
たとえば
日本各地から送られた救援物資は
避難所の施設からはみ出て、現地のスタッフさんも手に負えぬほどでした。
施設に収まりきらない救援物資が格納されていました。
施設のなかでは、
「物資が届きました」と
定期的に箱が置かれるのですが
そこに近づく人はほとんどいませんでした。
誰かが「きっと必要だろう」と思って
救援物資のつもりで送ったものが、
送った相手にとってほんとうに必要、
というわけではない。
そういうことがわかって、
それからはありったけのお金を鞄に詰めて
現地でご飯を食べ、物を買うことにしました。
そこで働こう、とする気持ちに
ほんの少しでもいいから何かをしたかった。
広い体育館のなかで、ヨガをする。
そのときの光景は、今も鮮明に覚えている。
跡形もなくなる、という衝撃。
すべてをなぎ倒す力。
そこには、一切抗えない。
ごはんが美味しい。
生き物のリズムは、止まることがない。
身体を動かしたり、呼吸を意識するというのは
たとえどんな状況下であったとしても楽しい。
変わったこと、よりも
変わらないものというのが身体には息づいていて、それがどんどん強くなっていくのを感じる。
そして、マッサージを通じて
「触れる」ことのありがたさを知った。
この日から、「触れる」という行為は
わたしにとってコミュニケーションのひとつになった。
言葉のない、
わたしと、あなただけに通う
心の会話。
避難所へ向かう途中の光景。
何枚か、写真におさめた。
人が集い、何かをする。という景色は
わたしの心に潤いを与えた。
あの日の悲しみが、癒えますように。
あの世にも、この世にも、幸せが訪れますように。