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茨城県牛久市で、瞑想の為のヨガ「スンニャターヨガ」を主宰しております、茂木敦子です。
瞑想について話すとき、
3人に2人は
「瞑想って、
アタマの中を無にすることだと
思っていました」
と仰います。
けれど、実際
静かに座り、目をつむったとたん
思考がわんさか湧いて
足が痺れて
「こんなはずではなかった…」と
瞑想を止める理由を探し始めて
その思考の真っ只中にいること自体にさえ
気付かぬままになってしまう…
;^_^A
アタマの中を空っぽにすること
思考を完全に無くすこと
…これはやろうと思ってもできません。
思考は絶えず発生するものなので、
生きている間は
思考が無になることは永遠にないのです。
では、瞑想とは一体何なのかというと
観察して
↓
気づいて
↓
放っておく
この繰り返しです(*^_^*)
あらゆるものの考えというのは
瞬間瞬間に生じては滅し、
変化しつづけるもの。
そして、瞑想は
アタマだけでなく
カラダの全てを使ってするものなんです。
その事をほんとうに理解したとき、
アタマの中や心の中は
思考の渦から解放され、
シンプルで静かな状態となり
瞑想はより一層楽しい、気持ちいいものに感じられます(*^_^*)
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観察して
↓
気づいて
↓
放っておく
このプロセスの一番最初の「観察」について。
特に観察は、五感を使ってじっくり取り組んでいきます。
目・鼻・舌・耳・肌
この五つの器官から感じ取ることができる
ひとつひとつの感覚に、
まずは意識を向けていきます。
「みる」という感覚ひとつ取っても、
いざ取り組んでみると
なかなか奥深く、味わい深いものです。
「見る」感覚と
「観る」感覚…
「診る」感覚や
「視る」感覚、「看る」…
今私が思いつく限りではこのくらい出てきましたが
「みる」という共通した動作でも
どれも、少しずつ感じ方違いますね。
たとえば
「観る」は、みる対象が広範囲なかんじ。
「見る」は、気軽な感じ。
「看る」は、何かに寄り添っているかんじ…
見方はそれぞれ、感じるままでOKです。
また、「みる」という感覚は
目を使ってのみ感応するものでもなさそうですね(*^_^*)
たとえば
自分の手で自分のお腹に触れた時、
あたたかいかんじ
やさしいかんじ
安らぐかんじ
ちょっと緊張しているかんじ
怒っているかんじ…
その感覚を、肌で「みる」ことができます。
「みる」ことの他にも、
「味わう」ことも
舌だけでなく身体のどこか
あるいは、身体全体を使って感じることができます。
たとえば、
温泉に浸かったとき
「あ~染みるわ~( ´▽`)」と
温泉のあたたかさ、
におい、疲れがほぐれる感覚を
肌で味わうような、そんな感覚とおなじです(*^_^*)
瞑想で行っている「観察」は、
全く新しいことをしているわけではなく、
普段何気なく感じている
ひとつひとつの感覚を
感じるままにキャッチしていくことなのです。
もし、「瞑想をしたいけど、できない…(>_<)」と感じているとしたら
まずは五感を使って「観察」をしてみてくださいね(*^_^*)
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