H28年、練馬区の母子手帳
 
 
いわさきちひろさんの表紙。
素敵ですラブ
 
 
 
 
 
ずっと、
『いきたいねぇ~ラブ』って、話していた
憧れの“いわさきひちろ美術館”へ
 
 
 
練馬の
緑に包まれた静かな住宅地に
その美術館は佇んでいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 至るところに
ちひろさんの息づかいであったり、
愛を感じますラブ
 
 
 
 
 
 そして、精霊ちゃんたちもラブ
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
赤ちゃんの姿を、
ここまで柔らかく、優しく、愛情いっぱいに描ける人がいるでしょうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
ちひろさんは神様から
赤ちゃんの絵を世の中に届けるようにお願いされたのでしょうねラブ
 

 

 

そこに展示してある作品は
写真に納めることはできませんので、
少しネットよりお借りいたします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
わたしのお気に入りの1枚。
 
 
 
 
 
 
 
 
友達のお気に入りの1枚。
彼女の息子くんに似てます(笑
 
 
 
 
 
 
 
 
一息ついて、
ランチもその場で頂きました。
 
 
 
避暑地みたいです笑い泣き
 
 
 
 
 
 
 
 




 


 
 
 
 
 
 
“ちひろさんのことば”も大きく展示してあり、
 
友達と、
各自それぞれに黙読しました。
 
 
 
 
『わかる、わかる』
 
おこがましいことですが、
とても共感してしまうのです。
 
 
そして、
ラスト、最後の部分で
大きなうねりのようの感動が心を突き抜けましたえーんえーんえーん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちひろのことば
 
 
大人になるということ
 

人はよく若かったときのことを、

とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。

けれど私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。

といってもなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。

戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな普通の暮しをしていました。

好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。

けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、

なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気付かず、なにごとにも付和雷同をしていました。

思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。

ですからいくら私の好きなももいろの洋服が似あったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、そんなころに私はもどりたくはないのです。

ましてあのころの、あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺ものです。

もちろんいまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。

少年老いやすく学成りがたしとか。老いても学は成らないのかもしれません。

でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の中の生き甲斐なのです。

若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。

親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えてゆるせなかったこともありました。

いま私はちょうど逆の立場になって、

私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。

これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。

大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。

 

 

ちひろさんは55歳でこの世を去りました。
 
 
わたしはほぼその年齢ですが、
まだまだ、その境地にはほど遠い自分がいます。
 
 
 けれど、
わたしもそうありたい。
 
そんな人になりたいのです。
 

 

 

 


心がほんわか、あったかな1日に心からの感謝を・・・・

 

 

 

いわさきひちろ美術館★