きょう子さんの居場所の近くにいた日本人女性達は、
ツアーそのものがキャンセルになったりして、この頃にはちらほらと自宅に帰り始めた。
成田から都内に向かう公共機関も、本数はとても限られているものの、
少しずつ回復の兆しが見え始めていた。
きょう子さんも、私と同じ便のJAL側のwaiting list に名前が載っているものの
旦那さんかも「カリフォルニアに津波が行くという情報もあるし、
とりあえずは戻った方がいいんじゃないか」と心配されているようだった。
そしてその後、その日のLA便はキャンセルになったことが分かり、
とりあえず自宅に帰ることにすると決めたみたいだった。
きょう子さんは、
「ずっと楽しみにしていた休暇なんだから出来るだけ早く渡米したいでしょう」
と心配してくれていて、JALからの連絡があった時はすぐに私にも教えてくれた。
私がお腹を空かせていることも分かっていて、
周囲から食べ物の情報が入ればすぐに私に教えてくれたし、
常に穏やかにニコニコとしていて、話すだけでも何だか気持ちが落ち着いた。
2日目の朝は、違うフロアの売店が空いているらしい、ということを聞きつけて、
二人で食べ物を探しに行ったりした。
事実をもう少し正確に描写するならば
私が、食べ物を持っている人がちらほら空港に現れ出したのに感付いて
荷物のある椅子の所で寝ていたきょう子さんを叩き起こし
開いているお店があるみたいだから、一緒に朝ご飯を買いに行きましょう!
と、無理やり引っ張って行った。
文字にすれば相当にひどい話だけど、
きょう子さんは嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた。
うろうろと歩き回り、別のフロアでやっと売店をみつけた。
わずかに入荷していたお弁当やおにぎりは売り切れていて、
仕方がないので、残っていたカップラーメンを買った。
コンビニエンスストアみたいに、その場でお店でお湯を入れてもらって、
お湯がこぼれない様に両手でカップ麺をもって、二人で並んで一緒に帰ってきた。
きょう子さんはお湯を入れながら
「カップ麺を食べるなんて、何年ぶりかしら。。。」といって、笑っていた。
私が数日前に食べたばかりであることは
普段のダラけた食生活がばれてしまうので、黙っていた。
売店にあったポットのお湯の量も限られていた。
私達の後ろにも人が並んでいたので、普通よりも少ないお湯でラーメンを作った。
きょう子さんと一緒に買ったあのラーメンは、味がとても濃かったのを覚えている。
あの不安と混乱の中、ずっと一緒にいて気遣い続けてくれたので、
きょう子さんが帰る時は、なんだかとても名残惜しくて悲しかった![]()
住所とメールアドレスを交換して、一緒に写真も撮って、お礼を言ってお別れをした。
数日後、私がコロラドの Vail にいる時だった。
きょう子さんのお嬢さんであるTさんから、私宛にメールが届いた。
「成田空港で母がお世話になりました、娘のTと申します。
地震で大変怖い思いをされたこととは思いますが、
空港では携帯も持っていない母にパソコンでメールを使わせていただくなど
本当にご親切にしていただいて大変感謝しております。
Mさん(アドレスからお名前をMさんではないかと推測しておりますが
違っていたらすみません)ご自身も貴重な連絡手段として
パソコンや携帯電話の電源を出来るだけセーブしたかったことと思います。
(停電などもあったと伺っています)
母はそれほど一人旅に慣れているわけではないので
体調を崩していないか、心細くないかと心配でたまらなかったのですが
パソコンを持っている若い女性と一緒にいて助けてもらっていると伺って
とても心強く思いました。本当にありがとうございました。
一時的にメールアドレスを貸していただいただけなのに
勝手に私から直接メールしてしまってすみません。
どうしても一言お礼が言いたかったのでメールさせていただきました。
まだまだ余震の恐れなどあり、停電などもあり、日本は大変な様子ですが、
どうぞ体調に気をつけて頑張って下さい。
今後もMさんとご家族のご無事をお祈りしています。」
あの場所にいなかったのに、
どうして電源が貴重だったことなんて分かったんだろう。
きょう子さんもとても優しい女性だったけど、そのきょう子さんに育てられたTさんも、
やっぱり周囲に気遣いの出来る女性なんだなぁと、
メールを読みながら思った。